著作権の延長問題について

 著作権についていうと、権利保護イコール産業振興だという考えは、栗原潔さんではないが、早くやめて欲しい。それはもう大前提。
 著作権法に書いてあるので議論の対象として適当かどうかわからないが、まず、著作権は神聖なる人権であるという議論を少し冷静に見直す必要があるだろう*1。イデオロジカルに叫んでもあんまり意味はない。重要なことは、著作権法によってどのような効果を期待するかということにつきるのだと、僕は思う。当たり前だけど。
 んで、著作権法で保護期間を延長するというとき、問題にされるべきなのは、要はそれによって何が起きるかということだ。権利者の総収入増加?ふんふん。しかし、それは利用者が許諾を得るという手間の意味でも、対価を(しばしばお金)を払うという財産の意味でも、利用コストを負担するということの裏返しである。そうだよね。
 で、突然だが、私は、知財本部でも繰り返し論じられている創造立国という考え方を強く支持する。それ故、再創造活動の重要性を特に強調する*2。それゆえ、「ゼロからの創造」とみなされる再創造と、「他の著作物の複製」とみなされる再創造の間を明確にしておかないことには、新たな創造を疎外する結果になると考えている*3。これは著作権法理論的には何らかの形での権利の限界設定と考えられるだろう。ただし、近年の契約理論と基礎とする権利論にたてば、権利者が自ら権利の行使方法について宣言することでも同様の効果が得られる*4
 正直言って、これが担保されるなら、法政大学の白田助教*5がしばしば冗談めかして言う、「いっそのこと著作権は永久にこれを保護すると言っちゃっていいよ」という言葉に激しく同意する*6。だって、創造の単なる受益者を保護する必要はないし、わけてもデッドコピーを転用する権利なんて認めちゃういわれはあんまりないと思うわけです。だから、「再創作の自由」だけはきちんと自由圏を設定しろ!ということ。ハイ。

*1:別に僕のように法実証主義に立たなくても、憲法上認められた天賦人権ではあっても、具体的な保護の態様は他のタイプの人権や他者の権利との調整という観点からいろいろ制約を受けることはあるわけで、天賦人権だから著作権は不可侵というわけではないことは法律やってた人ならわかるわな。

*2:私はボードリヤールのシュミラークル理論に強く共感し、「ゼロからの創造」という考え方を私は強く批判する立場に立つ。

*3:「その音楽の作者とは誰か」とかを書かれている増田聡さんが小論「パクリ再考」(2005)の中で指摘したところに拠れば、客観的なパクリの基準は作れないということである。それは渡辺慧さんが「認識とパタン」(1978,岩波書店)で明らかにしたということなのだ。それが正しいとしても、法的には「決め」を打つことはできる。これは、いわゆる「決めの議論」、或いは「えいやっ」なのだが、ないよりはあった方がましなので、僕は「えいやっ」だろうがなんだろうがセーフゾーンを作ることに賛成する。

*4:禁反言の法理がここでは機能するという前提にたっている。日本の民法学では禁反言の法理の適用は抑制的であるというのが定説のようなので、具体的には、この権利者の宣言が権利法法典の規定に権利の限界として盛り込まれるか、同じ内容が司法の場で権利の限界として採用されることになるということかもしれない。また、電子商取引の対象としてのデジタルコンテンツについては、契約法理上の準則として採用されることもあるだろう(経済産業省電子商取引上の準則を定める権能を持っている)。

*5:私が尊敬する学者の一人。ただ、パフォーマンスがマニアックすぎるよなー。でも、あのくらいやりたいな、と心私にあこがれているのですよ、僕は。

*6:これは、延長論の度に繰り返される政治運動を見ての言葉だと思う。白田さん本人は、権利保護に賛成できないことは既に別稿で表明しているので、この言葉が彼一流のギャグであることくらいわかるわな。