MYUTA違法判決は失当ではないか

 また痛ましい判決がでたものだ。というのは、MYUTAのサービスに関する著作権法違反という東京地裁の判断のことである(報道はYahoo!/毎日新聞でこちら)。


 デジタル環境、或いは複製可能環境における著作権法の根本的にして最大の問題点は、複製権主義にある。本来は「AがBに著作物のデータを渡したというのはどういう意味なのか」、つまり売買契約の本旨を事細かに問題にした上で、それを逸脱したかどうかで法判断をすべきところを、ごく簡単に複製したかどうかで問題にしてしまっている。
 こう書くと、著作権法が複製権主義で書いてある以上それが契約内容だ、という議論をする方もいらっしゃるが、それは論理的におかしい。自己撞着的な論理展開で法律のトートロジーに逃げ込んでいるのだ。しばしば法改正をしたくないが、かといって法改正の不作為の責任もとりたくない政府関係者が口にするロジックである。法が正々堂々認めた権益ではなく、たまたま生じた権益に安住したい者も、だいたい同じ態度をとる。


 著作権法の構造に帰ってみると、著作権法の思想そのものはそこで強く逡巡していることがわかる。いわゆる私的複製の問題だ。
 私的複製の例外規定が一体なんなのかという点では、大きく二つの考え方がある。一方には、これは著作権に内在する限界を法的に表現したものだという考え方があり、他方にはこれは著作権そのものは私的複製にも有効であることを前提に法律が人工的にセーフハーバーを設定したものだという考え方がある。個人的には前者なのではないかと思いつつ、私的録音録画補償金制度があることを考えると、著作権法は後者の説をとっているのだろう。しかし、いずれにせよそのベースにあるのは、「AがBに著作物のデータを渡したというのは、Bが自分のための使用であれば自由に使ってよいと解釈するのが社会通念だ」という考え方であるように思う。これが物理的な複製行為全てを支配しようという無制限な複製主義と、現実に世の中を回していくための法解釈の間を埋めていく著作権法なりの工夫であろう。
 かつて小生が経済産業省コンテンツ課時代に書いた最初の論文では、コンテンツ財の本質は体験というサービス受益をいつでもできることの保証にあり、コンテンツ財の販売は債権的に解釈するべきだとした*1。産業や経済という視点で考えた結論は、著作権法の議論とはさほど変わっていない気がする。


 さて、問題はMYUTAのサービスの評価だ。
 判決は、MYUTA公衆送信権違反であったと指摘する。公衆送信権の本質は放送では捕らえられない多数への違法配信にあり、裏返せば、「公衆」とは「不特定多数の人がダウンロードできること」という意味での不特定性が問題にされる。MYUTAの場合は、アップロードされたものがどれほど不特定多数の人にダウンロードされている/うるか、言い換えれば「特定通信」と「公衆通信」のどちらに当たるかということを議論の対象にする必要があると思う。アップロードした人間にダウンロードしている/できる人間が特定され、全体としての通信行為が「個人利用」の枠内に入るのであれば、それで無罪放免である。逆に一部ストレージサービスのように、「個人利用の振りをした公衆送信」であれば、それは違法と断じるべきである。
 キャッシュの問題*2に立ち返ると、そもそも、インターネットという仕組みにおいては「通信」という行為を規定し、その下位レイヤーでの複製行為は法的に無視するとせざるを得ない。昨今の著作権法の改正の流れを見ても、そういう考え方は十分認められてきていると思う。
 もちろん、ここでいう「通信」とは何かは、コンテンツ(この場合、音楽)の売買契約の本旨に照らして判断されるべきであり、ここに裁判所の仕事がある。それを踏み越えて権利を主張するのは、販売者については禁反言の法理的に理解されるということになるのだろうか。
著作権法の「私的複製」の本質、つまり複製が指摘であるかどうかの境目は、その複製の利用行為が個人の支配域を出ないかどうかにあると考える。上記「通信」の理解もそれと整合的に解釈するべきだから、仮に電気通信が間に介在するとしてもそれが全体として「私的利用」の一部にとどまる限りにおいては、全体として「私的複製」の範囲内と解釈するべきなのだろう。
 あれ?MYUTAの主張と同じになってしまった。


 結論と展望だが。
 そうなると、判決は、「公衆」の判断について、通信としての公衆性の判断を、それより下位レイヤーのサーバ管理の公衆性の判断と取り違えてしまったという、大きな間違いを内包したものだと言わざるを得ない。インターネットという電気通信の仕組みを理解していないというか、著作権法の悩みをわかってないというか、まぁ、結局、MYUTAは救われねばならないだろう。そうでなければあらゆるアップローダ*3どころか、あらゆるインターネット通信事業者が複製権違反で違法化されてしまう。
 しかし、確かに法判断は不適切だが、それと同時に、そんなバカな解釈をさせる余地を作っている法律そのものも批判対象となるだろう。
 こういうと、米国のフェアユース条項を持ち出すのだろうと思うでしょ?確かにそれは強力な一つの解だが、唯一解ではないから小生は固執しない。文化庁は、本件に対しては極めて保守的なのも知っている*4。それそのものは批判しない。ならば、フェアユース条項が著作権の例外を生み出すのと同じ効率で、文化庁著作権の限界を規定していけばよいだけだ。MYUTAは、物理的複製が法的無価値な複製を飛び越えている例なので、まさにこうした措置の対象となるものだろう。


 速やかな上級審における修正と、文化庁の適切かつ早急な対応を期待する。




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*1:後で気づいたのだが、これは何もコンテンツにだけ当てはまる話ではなく、直接使用型耐久消費財一般に言える話なのだ。それゆえ、こうした商品はリース方式で物財としての売買をサービス財としての契約に転換することができる。

*2:インターネットという通信形式ではあらゆる通信が断片的複製行為の塊となって起き、寿命が本当に短い無断複製行為が無数に起きているということになる。かつてはここを捕らえて、米国政府が日本に著作権料を払うべきだとかいう変な議論があった(米国はフェアユースとしてこれは権利範囲外となっている)ように記憶している。事実、複製という現象を直接的に問題にするなら、即刻インターネットなど廃止である。これがキャッシュの問題だ。昨今の著作権法の改正で検索の為のキャッシュが適法化されたようだが、そうであれば、それよりさらに下位レイヤーである通信のためのキャッシング=複製はそもそも問題にならないと解されたのだろうか。

*3:これは受信者の限定性がとても不確実なので、「限定通信」=「個人利用」のロジックでは救えないのね。残念でした!

*4:規定を支配したいというのは役人の本質であるから、よく理解できる。