自由利用空間ということ

25日に報じられたことだが、総務省が著作権料を気にせず既存コンテンツの二次創作作品を使える空間作りを提唱しはじめたようだ。読売新聞などは、これを「サイバー特区」と呼んでいる。使えるコンテンツは著作権者が認めたものだということだから、つまり登録制である。まんま天秤が主張する次世代デジタルコンテンツ制度なので、当然、天秤は賛同する。

ま、あえてツッコミを入れると、登録制なので、別にサイバー特区にする必要はないということだが、これはネーミングテクの範囲内だろう。

もう一つ、ツッコミどころというかなんというか、二次創作の開放にとどまり、デッドコピーへの対策が済んでいないことだ。こっちは結構問題が大きい。
実は、二次創作の開放論ですら敷居は高い*1。だが、デッドコピーの開放論に至っては、二次創作開放慎重派はもちろん、開放積極派から見ても、全くナンセンスだ。理由は単純で、それを認めればコンテンツ産業の理論的支柱である「よい(=よく使われる)コンテンツを作った人間が使われた分だけ利益を受ける」メカニズムが全く崩れるからだ。

では、デッドコピーはブロックして、二次創作コンテンツだけ開放しよう、ということに素直に考えるとなるんだけど、そうは問屋が卸さない。例えば、単にある動画にフレームを付けただけで「加工物だ」と嘯くように、「二次創作」と見せかけた単なるデッドコピーというヤツがあるからだ。これを事前に機械的に判別することはほぼ不可能だろう。

ところが、これはせっかくのサイバー特区構想について、ユーザー側から見て大きな問題を生み出す。「なんちゃって二次創作」コンテンツに引っかかってしまえばユーザーは違法コンテンツの利用者になり、それを別の人に提供すれば、違法コンテンツの複製者になってしまうからだ。つまり、この問題に対処することは、サイバー特区の意義に関わる重要な問題で、二次創作開放と同時に、デッドコピーの開放に関する手を打たなければならないということなのだ。

こういうと、おいおい、さっき二次創作コンテンツとデッドコピーは違うと言ったのはお前だろうというツッコミが入るに違いない。ただ、天秤が重視するのは、ユーザーがストレス無く、一般常識の範囲内で違法性を問われないような仕組みということだ。別にユーザーに一銭も払わずに使える権利を付与しようとか言っているわけではない。

天秤が、二次創作開放と産業間調整金制度を持ち出す理由はここにある。

結局、ユーザーはいくばくかのお金は払う。産業間調整金にしたって、どうせ電気通信事業者はその分をユーザーに上乗せするだろうから(オプション契約にして支払ったユーザーだけ合法にしてやるという考え方もある)、まぁ払うのはユーザーだ。ただ、コンテンツの利用を萎縮させないために定額方式にして、それを産業内部で使われたコンテンツに配分するというしくみを作れば、事実上、ユーザー(厳密には、いくばくかのお金を払ったユーザー)にはデッドコピーが許される。だから、二次創作コンテンツ(こちらは本当の開放)であれ、デッドコピー(こちらは事前支払分でカバーしてあるだけ。開放モドキ)であれ、ストレス無く、安全に使えるということになる。

総務省の実験はここまで行くのか、それとも特区で終わるのか。
注目してます(=^o^)ノ

*1:次のエントリーで、里中満智子先生は、二次創作者に「ちゃんとした創作をする人」と「単にキャラをいじってパロディするだけの人」の別を認め、両者で権利者の態度は違うという趣旨の発言をされている。これは一つの見識なのだが、こと二次創作開放論としてみると、かなり限定的な立場ということになる。