「標準化」に関してブログで呻く件

 年末のブログに関して、初音ミクを世に出されたクリプトンの伊藤社長から丹念なコメントをTwitter上でいただきました。嬉しい限り。Twitterの140字の限界はつとに指摘されるところで、言葉たらず、紋切り型の不快感から喧嘩になることも多いのだけど、ちゃんとしたやりとりになるのはいいことです。ただ、やはり140字ではすまないので、往々にして連投になりますが。
 で、だいたいはTwitter上(の連投(>_<))でお返事したのですが、その中で「標準化」についてどう考えてるかという質問があって、これは別のTweetでも指摘されていたところだったので、ちょっとまとめて今の自分の考えを書いておこうと思いまして、急遽ブログにアップしました。


 出発点として、これまた年初にいただいた @y_shigenari さんの「日本の行政は標準化すること自体に価値を見い出している。」というTweetを置きたいと思います。


 これはその通りなんです。別に「日本の」と限定しなくてもいいけどw


 考え方の出発点は、技術が世になす「貢献」は、一制作当たりの効果を大きくすることと、一制作当たりの「品質」を向上させることのセットだと考えることだと思います。たとえて言うと、映像技術でいうと、ある作品の鑑賞方法が多様化すると一つの制作の「貢献」は上がる、と前者は言っています。そして、後者で言いたいことは、作品そのものがもっと感動的*1なものになることでも「貢献」は上がるということです。
 両者は独立ではないと思っています。
 すなわち、前者が後者を促し、後者が前者を促す関係にあると。例えば、映像(動画)の効果はすごいと思うからこそ、生活のもっといろんなところに映像を埋め込みたいと思う気持ちが起きます。映画館からテレビへ、ビデオという方法へ、ネット化以降はさらに加速して映像配信へ、webコンテンツへの埋め込み手法へ。さらにワンセグ、サイネージ、あーもうどうでもいいくらい。
 こうして僕たちの生活は映像で満ちあふれてくると、映像作りをする人も増えてきます。そこでよい競争が起きれば、品質の向上が起きる、と考えます。ここの構造はそうとう入り組んでいます。ただ、敢えて紋切り型で言っちゃうと、制作技術とクリエイタの能力の二つに集約されるかなとも思っています。
 ここで重要なことは、往々にして行政の中の人は開発者ではない。だから、後者の次元でこうしたらもっといいものができるよ、という具体的プランはない*2。これが前者の次元、すなわち、一つの技術を様々な生活シーンに埋め込むことを促したいという考えに行政が入れ込みやすい原因だと思います。
 前者を推し進めると言うこと、その一つの表現が「標準化」だと思います。年末のブログで書いたように、それは一つの技術がいろいろな領域に作用するということだけを含意しているので、今風に言えば、APIプラグイン、データコンバートなんかの概念を含むもので、「連携」とか「共通化」と表現する方が本当はいいんでしょうね。


 ただ、ここで一つ問題になるのは、APIでもプラグインでもデータコンバートでもいいし、「標準化」でもいいんですが、それをしたからといってクリエイタの裾野が広がるかというと、疑問です。ここは語り出すときりがないですが、原因の一つとしては、本当は作りやすい環境=開発ツールの存在が重要で、それはそれ自体が開発の領域にあるので、行政の中の人には手が及ばない所だという事情もあります。だいたい国が手を出したコンテンツやソフトの開発ツールで使いやすい!なんていうものを僕はまだ聞いたことがないです(不勉強かもしれませんが)。
 年末ブログでも書いたのですが、よって何より、関係者とよく議論して、うまく協力し合えるような「連携」や「共通化」、あるいは「標準化」みたいなものができるならそれがいいんじゃないかと思います。行政側はすでに述べたような理由でそれをしたいと思うんだろうけど、無理矢理横から変なことをしても徒労に終わり、或いは業界を混乱させるだけですからやめた方がよい。逆に、仮に「標準化」であっても、従来からツールを作ってきた人達と納得ずくでできるなら、そうした既存の良いツールに組み込んでもらえるでしょう。そうしないと効果は上がりにくいと思います。


 ソフトウェアやコンテンツの「標準化」に関する一般論としては、こんなことを考えています。




 さて、伊藤さんからはお題として「VOCALOIDMMDについて技術の『標準化』をどういった政策なり経済的効果にリンクして行きたいのか」という質問をいただいたので、上記説明を前提として、ここから回答していきたいと思います。
 まず、年末ブログに書いたように、こと初音ミクライブイベントについて自分は一観客、或いは関連産業の研究者としてこういう動きが広まったらいいなぁと考えている人なので、その出発点において「政策」とは全く無関係です。もし「政策」とリンクしている部分があるとすれば、自分はコンテンツ産業のメカニズムと関連政策を研究している人なので、そういう視点が浸みだしているかもしれない。これを自覚的に書いてみた、ということになります。
 ただ、もう一度精一杯留保しておきたいことは、僕は自分の属する組織が行っている「クールジャパン」政策については全く関与していないですし、コンテンツ関連政策にも部分的にしか関与していないので、経済産業省を代表して考えることも、コメントすることもできないということです。それがお望みであれば、経済産業省の関連部署に確認されることをお勧めします*3


 経済的効果の議論は、冒頭の説明に尽きると思うんです。
 MMD*4が、出力としては様々なブラウザにマッシュアップされ、入力が開放されて他のアプリケーションから(できればリアルタイムで!)モーション操作されたり、他のアプリケーションと3Dデータを共有できるようになること、これが「連携」「共通化」、そして「標準化」のイメージです。それによって、MMDをベースにした楽しいコンテンツ(と、正確にはそれによる楽しい体験)が増えること、それが「貢献」の増加です。
 ここで「貢献」と敢えて文学的に表現している理由は、それを経済効果としてどう把握するかという議論が欠落しているからです。
 これはさらに視点をどこに設定するかで議論が分かれています。


 第一に、事業者の視点に立つなら、「貢献」と事業者の収入増の間をどう結ぶかという、コンテンツ産業論の中で中核的なビジネスモデルの議論だと思います。
 直線的には、著作権やオーサリングソフトのライセンス契約などを使って単位利用当たり使用料を取るという考えもあります。あまり喜ばれないけど。
 もう少し普通なものとしては、仮にデータフォーマットはオープン化される*5としても、オーサリングソフト/サービスとしてのビジネスを追求すればいいというものがあります。例えば、OOXMLができてもMSはオフィスを出し続けるでしょう。その場合の商品力は、使いやすさとかそういうことになると思います。
 もっと間接的には、MMDの交流空間(ファンクラブとかコンテンツマーケットプレイスとか)を運営するとかいう考え方もあります。MMDの話をしているので何ですが、仮にクリプトンさんがということになれば、初音ミク他の自社展開キャラクターに関するキャラクタービジネス収入増加を見込むこともあるでしょう。そういえば、クリプトンさんは「ピアプロ」もなさっていたはずで、その効果とかそこらへんのご経験については、むしろお聞きしたいです。
 さらにもっともっと間接的になると、自社にブランド効果があがればいいやと割り切るという考え方もあるかもしれません。
 ここら辺は各々の事業者の経営スタイルに属することなので、僕からは何も言えません。


 さて、これで本当に収益は増えるか、どのくらい増えるか。
 いや、まぁ現時点で算盤を弾いているわけではないですし、各ビジネスモデルで収益性も違うので、定量的な答えはご勘弁ください。
 定性的ということだともう少しマシで、競合社がでることによる収益減とオープン化のための追加費用しかマイナス要素がない。一般的には、上記の戦略次第ですが、それほど破滅的マイナスにはならないかと思っています。
 もちろん、このマイナスを避けるためオープン化しないという戦略*6も当然あります。けしてオープンにしろと責め立てているわけではない(だってそんな権限ないしw)ので、そこは誤解なさらないでください。


 第二に、視点を市場規模という漠然としたものさしにしても見ることはできます。
 基本的には、今のwebアニメ絵系(動画、静止画含め)を一定程度リプレイスできるかと思っていますが、あくまでリプレイスで、そこにはあまり市場規模増加という夢はありません。ただ、MMDの出力先が増えることで、3Dデータの共通化を通じて、よいキャラクターが生まれる可能性は高まると思っていて、キャラクタービジネスには正の効果があると考えています。
 実は一番注目しているのがここです。


 お前が見たい未来は何か、と問われれば、「好きなキャラで、僕たちが楽しめるリアル空間体験」と言いたい。これを言い換えれば、生身の芸能人でやっている産業空間に、アニメ的なキャラクターによる同種の、ひょっとしたらもっと面白い体験を載せるということです。そういう意味で、何度でも繰り返しますが、初音ミクのライブイベントは衝撃的で、アイドル産業を研究している者としても、この方向があったかと膝を叩いた感があります。
 こういう一種のAR的動きは、これまでもいくらもありました。リアルなタレントをバーチャルなもので置き換えようという動きはいくつもあり*7、ほとんどがリアルの代替としてどれだけ表現をリアルにできるかという面からアプローチして、「不気味の谷」に引っかかったり、うまくいってもリアル感に拘りすぎて、映像制作過程が不必要に重たくなったりした*8と考えています。
 逆にアニメ的表現からの接近はなかなかうまい成功例が出ませんでした。個人的には、ずーっと「トゥーンシェード」とかに興味があって見ていたのですが、それほど流行っているようには思えないし。プリキュアのエンディングはこの二年でずいぶん進化してきて、とても注目していますが、制作過程は少し重い気がする。
 MMD杯を見ていると、これならかなり制作過程の重さは軽減されてきたのではないかと思っていました。もちろん、ボーカロイドでも、パラメータ調整をするのではなくWAVに書き出してから波形加工する方がいるように、MMDで作った映像を別のソフトでイフェクト処理して仕上げる方も多いだろうから、そう簡単に言うわけにはいかないのですが*9


 初音ミクのライブイベントのようなシステムを前提にした非実在アイドル消費市場。これは、アイドル産業の外延ではありますが単純なリアルタレントの置き換えではないですし、今あるキャラ市場に単なる一つの出口が追加されたわけでもないと思っています*10。よって、これが生み出す市場は、純増だと考えています。
 そしてこれを垂直に立ち上げていくとすると、現在のMMDの動きとかを見ると、ユーザーにいろんなキャラを立ち上げてもらうプロセスがよいのではないかと思いました。もちろん、そういうオープンプレイスにいろんなプロフェッショナルも作品を投じてよいわけですから、その力を使わない手はない、と。
 もちろん、こんな面白い話を国内に閉じる必要もまったくないし、市場は広く構えた方がよい。だからこそ、「連携」「共通化」「標準化」という技術的な入り口から入っていき、またオープンプレイスとして世界中からファンを受け入れられるようになったらいいなぁと考えていたわけです。
 もちろんその時に、汗をかき、侠気を見せてオープン化する関係者がどう受益するかということは大きな問題ですが、それは第一の「事業者の経済効果」に帰っていきますので、重ねてはあまり触れません。


 因みに、敢えて煽りに乗ってみると、ここでこういう「キャラの国・ニッポン」的な意味で「クールジャパン」とシンクロするのではないかという見方もあると思います。年末のブログでも書きましたが、そういう可能性(危険性)はあるだろうと考えていて、その場合、まぁイベントくらいなら双方WinWinになるかなぁと感じているのも事実です。ですが、それもあくまで「キャラの国・ニッポン」が立った上で、その波及効果として日本の付加価値が上がるということであって、メカニズムを逆にしてはいけないと強く思っています(だからこそ「危険性」なのです。*11)。だからあまり「クールジャパン」との牽連性は強調したくないところです(まぁ、実際、遠いところの話ですし)。


 この新しい市場の市場規模を算定することは、多分、現時点では不可能です。もちろん皮算用でもやってみろというリクエストがあればやってみますが、時間が要ります。


 ただ、書いておきたかったこと、それはこう言うことです。
 私はクリエイタではない。だからこそ、クリエイタがもっと頑張って、もっといい作品が出るような環境作りにしか目が向き得ない。その中で、もっと競争的に作品が作られたり、もっと作品が鑑賞しやすくなるために、ある技術が他の技術、事業者と「連携」「共通化」すること、すなわち「標準化」をすることを促すような思考の枠組みがあることは事実である。
 それが当の技術を生み出した人達の利益になるか、と問われれば、はっきりしない。それはその人達のスタイル、戦略とも大いに関わるので、客観的にこうだと言える解は存在しない(だからこそ、年末ブログでも書いたように、関係者との議論が大前提になるのですが)。
 それらを踏まえてMMDの「標準化」に、個人的嗜好を越えてどういう「政策」「経済効果」を見いだすかと問われれば、キャラ産業の拡大を念頭に置いている。また、そこからの波及効果もあるだろう。
 ということです。


 すいません。いただいたお題の中で「政策」という言葉に強い違和感があった(元はといえば、Tweetの中で政府に懸念を表明するために「政府」という言葉を使ったことからくる混乱なのですが。そこの真意は年末ブログで明らかにしていると思ったので、もう一度重ねて「政策」と言われたため、強く意識してみました)ので、あえて長文でお返ししました。


 それにしても「標準化」という言葉は、自分も間接的に仕事でこれ(別分野ですけど)に関わっちゃったりしているので、いろいろ嵐を呼びやすい言葉だなぁと感じています。「連携強化」とかいう表現に全部切り替えたいくらいです。「標準」には権力とか強制的という感じが強いですからね。個人的にもあまり好きではない。注意しないといけないなぁと感じた年初であります。



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*1:別に感動でなくてもいいんですが、より「見たい」「見て良かった」と思わせるような、ということです。

*2:その評価はいろいろあるでしょう。自分は時としてもっと具体的提案をしたくなる時があります。が、例えば第五世代コンピュータみたいな例もあるので、慎重にやるべきだと思いますし、少なくとも権力行為としてはすべきではないな、と思っています。ソフト的なことなら自分で書いてみればいいし、あるいは開発者に耳打ちして納得してもらえるというプロセスでもいいんだし。

*3:といって、本当に照会されたら、僕に話が回ってきたりしてw。組織というのは往々にしてそういうもので、権限がない人間に限っていいように使われるものだからw

*4:ブログコメントにもありましたが、MMDの進化については、MMD杯を僕も見てますからよくわかります。制作環境は今いろいろ調べてますが、データコンバータとか簡易ツールを使い倒すやり方のようですね。コミPo!とかもっと他のデータとのコンバータが充実したらいいとか、後で本文でも触れますが、僕のようなヘタレのためには統合環境がもっと進化したらいいとか思ったりはします。

*5:なお、ここではあまり触れないが、オープン化は無料化ではないので、それを使う人、事業者から直線的に対価を回収するという考え方もあり得ます。

*6:こういう場合、勝手コンバータを誰かが作ることもあることは事実です。MMDの領域で様々なデータのコンバータが出ているように、ベンダーが動かない場合、世の中にニーズがあれば、勝手にそのニーズを埋めるように周りが動くというのは、よくあるメカニズムです。

*7:好例としては、ホリプロさんの伊達杏子を挙げれば十分ではないでしょうか。

*8:リアルをバーチャルで置き換えるなら、結局、単にリアルを記録してちょびっと加工する方がよほど費用対効果がよい。映画「ファイナルファンタジー」が陥った罠です。

*9:これが皮膚感としてわかるためには作らなくちゃいけないと思うのが僕の性分なので、新年の手習いはMMDで作品を作る!ということにしようと思っているくらいです。まぁ家にはWinPCが一つもないので、Mac+Fusionでやるしかないと思ってるんですが…。ただ、こう考えているからこそ、データの可搬性とか、或いは加工ツールやコンバータがバラバラある現状よりももう少し統合環境があったらなぁとか、考えるわけです。まぁここはヘタレの戯言かもしれませんが

*10:もしそうだとすると、消費者の可処分所得は一定なので、出口=コンテンツ間でゼロサムになってしまいます。

*11:仮に今の日本政府が支援する場合、目立つなというと、ヘソを曲げたり、支援をやめたりすることもありますから。支援事業は最終効果のためにするものですが、組織(政府や特定省庁や特定部局)内で自分が仕事をしていることの証明としてやる人もいますので。ここら辺は永遠の課題で、愚痴でしかないですからあまり長々書きませんけど。