文藝春秋プラスで『鬼滅の刃』について語る機会をいただきました(https://youtu.be/xP3b0M0ODPo?si=TyvYMCEBiAZDPGcf)
まずは、当日、MCを努めていただいた小田竜ダニエルさん、ありがとうございました。リードされるままに語っていったのですが、いやぁ、途中、ところどころ単なるアニメ『鬼滅の刃』のファンになっていたのは申し訳ない。
テーマはプロデュースが生み出した成功の秘密、だったのですが、どうしても作品について語らざるをえず、そして作品だけを1時間語り続けるわけにもいかず、というところが少々辛く。
というわけで、少々補足をさせていただきたく、久しぶりにブログを書いた次第です。
■「作品」について
動画内でも強調したつもりなのですが、アニメ『鬼滅の刃』の成功は、まさにそのアニメとしての品質にある、ということは何より強調したいところでした。なにがといえば、①映像品質、②キャラクターデザイン、③音楽、④主題歌ということになります。
①の映像品質は、手描き絵、3DCG、2DCG(イフェクト)の見事な調和が素晴らしい。どれかだけではなく、実にバランスよく調和させている。もちろん、日本らしく基本的には2D映像としての仕上がりを第一にしているわけですが、だからといってそのために最大限3DCGを活用することをやめない。作品の各部分を適した方法で作った上で、これを統合し、さらに2D映像として最高にするために2DCGをとことん使い倒す。だからこそ、あの動きをあの映像で表現できるわけです。ufortableの今の映像制作は少々神がかっていますが、将来、この手法が正しく世界のアニメ産業内に適切に学ばれていくことを願います。
これだけの拘りを貫き通すには、理解あるパートナーとの連携が第一なわけで、動画内でも強調した製作委員会の座組が成功だったというのは、まさにこの点においてだと思います。
そして、②のキャラクターデザインは特に重視しているところで、原作マンガの硬さをアニメに適した形に実に素晴らしく再創作している。ひょっとしたら、近藤社長が東京ムービー新社出身であることと関係しているのかな?とか思った次第ではありますが、確かめたわけではありません。東京ムービー新社は、アニメ版の『あしたのジョー2』や『エースをねらえ!』、『ベルサイユのばら』とかを手がけていて、劇画っぽい作品のアニメとしての再創作は上手いんですよね。だから、原作の絵柄をそのままというより、果敢にアニメとして映えるキャラクターにしっかり再創作できたのではないか、とか思ったりしました。
③と④はどちらも音楽絡みですが、実に音楽がよい。ここは、音楽には詳しくないので「すごい」という以上のことを言いませんが、「すごい」。④には歌詞の品質も挙げる必要があって、実に作品世界を物語る歌詞にしているんですよね。作中で流れるのを聞くと、アニメのどこで使うかを予め念頭に置いているかのような歌詞作りに驚かされます。また、LisaとAimerは本作でものすごく成長しているように思えて、今後の活躍も期待されるこの二人の歌手に勢いをつけたという点でも、素晴らしいと思います。
■「プロデュース」体制について
これは最初から動画のテーマであったので、追記することはありません。アニメ『作品』を満足がいく水準まで拘って仕上げ、それを最高の盛り上げでファンに届けるための座組として、実に正しい選択だったと思います。
現在、世界的に資金過剰状態にあり、この動きの中で、アニメ作りには比較的資金が集まり易いかたちにはなろうかと思います。今後の作品では、メディア事業者や作品利用事業者の資金に頼らざるを得ない(もちろん、戦略的に頼るのはかまわないとしても)状況は減るのだろうと思います。アニメ『鬼滅の刃』のプロデュースは一つの大成功例として長く分析されると思いますが、アニメ制作産業におかれては、こういう時だからこそ、十分に計算し、特に作品「品質」に重点をおいた計画と体制で臨んでいただければと思います。
■今後のコンテンツ産業界、日本経済への展望について
ここが中々上手く語れなかったところで、何と言ってもアニメ『鬼滅の刃』のファンが、ちゃんと拘った作品作るのが大事だということがまたも証明された、というところで盛り上がって喋っていたので、実はそこまではっきりとは考えずに喋っていたという(すいません)。
で、改めて補足。
①アニメ産業への展望について
「このままでいい」と動画中で言ったのは、マンガ産業で多くの原作をテストし、そこから原作を選んで、アニメ化するという体制は、合理的で、永続的だという意味です。もちろん、それ「だけ」では多様性に欠けます。アニメオリジナルも一定量あるべきだし(『まどマギ』は言うに及ばず、『全修。』も『アポカリプスホテル』もよかったですよね。個人的には、アニオリ頑張れ勢です。)、小説やゲームのアニメ化というのももちろんあっていいし、マンガを原作にするとしても、アニメ化への忠実再現度は多様でよい。『鬼滅の刃』は、作品のストーリーがそもそもよく、ファンがそれをよしとしていることから、ストーリーの改編はしない(柱稽古編冒頭のような、影響度を計算した「追加」はさておき)でいいわけですが、すでに触れたようにキャラクターデザインはかなりアニメ化でタッチを変えました。ただ、それは『鬼滅の刃』だからそうしたわけで、それが『ジャードゥーガル』ならまた別の選択があるでしょう。
しかし、大枠はこれでいい。
ただ、この出版社のハンドリングには若干心配なところもあり、作家や作品との関係は柔軟な形でデザインするよう心がけてもらえばと思います。まぁ、吉本興業さんが、芸人さんと契約形態を輻輳化させたようなものですね。ああいう透明性と選択自由度がある関係構築の方法は望ましいと思っています。すでに韓国のwebtoon勢のようにマンガ出版社にもその座を狙う勢力が出てきているわけで、盤石だからといって、不変でいいわけではないですし、出版社が自己中心的になることはもっと拙いので。
その他の点で言えば、例えば生成AIの勃興など、外部条件の変化に対応したアニメ作りの手法調整は必要です。webtoonに触れましたが、すでに日本スタイルのアニメを作ることは日本抜きの諸外国でもできるようになっているわけで、そういう力を積極的に取り込んで、インターナショナルで、かつオープンな体制による作品制作がもっと増えるべきです。すごく嫌な言い方ですが、全ての(日本スタイル)アニメの制作に日本が中心となって絡むことができれば、日本はそれが続く限り(日本スタイル)アニメの世界の中心に居つづけられるからです。
やるべきことは多いと思いますが、例えば『製作委員会』批判や『テレビ局』批判などのように、どこかに「癌」があり、それを摘出して、新しい「何か」を埋めれば、「問題」は解決し、輝かしい未来が待っている、みたいな「問題」も「癌」も「何か」もありゃしないし、今の体制は出発点としてそれなりによいよ、と言うことが言いたかっただけです。
②コンテンツ産業への展望について
コンテンツ各分野によって「作品」(又はそれに相当するもの)の構造が違うので、乱暴に細部に意見することはしたくないです。ただ、『鬼滅の刃』が示したことは、「作品」そのものの品質に徹底的に拘るべきだ、ということだと重います。しかも、作り手が納得できる水準ということに。
その意味では、マンガ雑誌というメディアが、(作家さんの意欲と状態を維持し、ひいては)作品品質を維持するために機動的な「休載」を認めるようになったことは注目しています。例えば、テレビでも、そういう機動的な編成調整はこれからあってもよいかもしれないですね。編成とか広告代理店は大変そうですけれど、もう映像番組も、放送だけでなく、ネット上の映像配信とかに大きな比重がある時代なので、「常識」は変わりうると思います。
なお、先ほど「作り手が納得できる水準」と書いたのは、下手に「誰かの水準」にあわせない方がよいのではないか、ということです。今、日本のコンテンツは世界での存在感がまた高まっている時期だと思うのですが、それは「どこかの国で売るためにどこかの国の人のためにあわせて作ったもの」ではない、というのがなかなか面白い。いや、それが全くダメだというわけではないですが、どうにも日本人には下手そうで。そこらへんがK-POPのようにはいかないなぁ、ってところです(ただ、K-POPみたいな成功例もあるので、日本政府のお金かなんか使って低リスクで試してみたらよいのかもしれませんが)。
ことコンテンツ領域については、日本は、日本らしく、というか、作家さんが自分らしく拘って、というのがよいようには思っています。
③日本経済への展望について
日本経済なんていうと、さらに話が大きくなって、言えることが限られます。「日本らしく」なんていっても、例えば接客業ならお客の拘りにあわせないといけないし、例えば自動車製造業なら日本と違う道路事情や気象条件なんかにはどうあったってあわせないといけない。そこら辺は、何にどう拘るかというのは産業毎に、特にサービスや製品のあり方に大きく依存すると思うので、あまり言いません。
ただ、やはり、各事業者は品質に拘っていただきたいと思います。動画では、売り方、プロデュース手法・プロモーション手法の観点から語る時間が多かったので、最後にちゃんと語ったつもりなのですが、売り方がよくても、そもそものサービスや製品が悪ければ、顧客が感じるのは失望ばかりです。そういう焼畑農業のようなやり方はしてはいけないのだろうと思います。
そして、当たり前だと思ったので、言い漏らしちゃったのですが、『鬼滅の刃』が示したことは、コンテンツ産業の近年の好調が示している通りで、「よいサービス・製品」を適切に展開すれば、世界市場での成功は見込める、と。だから、どんな産業も、国内で市場を完結させるのでなく、世界に売るべきだ、ということは言いたかった。世界に売るハードルは物流面でも、金融面でも、そして情報発信インフラの面でも大きく下がり、さらにコミュニケーション障壁も機械翻訳の長足の進歩で下がり続けています。そうなると、やるかやらないかだけの話になるので、なら、やろうよ、ということではないかと。
日本は、世界の中で普通かというと特殊だが、特殊でどうしようもないというほと特殊ではないよね、ということです。まぁ、当たり前っちゃあ当たり前なんですけれど。
以上、アニメ『鬼滅の刃』について語ったことの、補足とさせていただきます。