広告費の配分効率化と全体のパイの増加戦略と
Twitterで @kurarix から興味深い主張があったので、コメント。全体としては、書生論に過ぎるかと思い、同意はできないのだが、とてもよい指摘を内包していて、自分の意見を書くことは意味があると思うので書いておきます。本当はTwitterでやりたいところだが、連投になるので、blog側に書きます。
@Kurarix の主張はこちらを参照のことです。
同意できない理由の最大のポイントは、【脳内検証】の議論は、アイボールの広告価値的評価を接触回数評価に単純に還元しているという意味で暴論だから。実際には接触の広告価値としての評価は多様であり得て、決定論的ではないが故に、市場を介して決めるしかない。
もちろん、それが代理店とマスメディアの固定的関係を通して歪んでいるのだという主張はあり得るが、それを証明する物差しがない*1以上、その主張は採り得ない。あくまで現実論でいきたい。
加えて、注5のマスメディアの過剰レント論*2は過大評価のきらいが強い。広告費の流れのうちメディアの「取り分」が多いという理屈だが、その取り分も結局は業界内で循環しており、真水としての「取り分」が如何ほどかは疑問である。こういうと必ず給料が云々という話になりがちなのだが、そもそも社員数はさほど多くはなく、その業界全体の金流に対する圧迫効果はしれたもの。
ただ、固定的取引関係が多く全体としての非効率性は相当あるのではないかという観測は自分もしている。ネットも交えた広告費配分競争の中で効率化は進むだろうが、その効果くらいか。もちろん、効率化というのは、ネットの方が効率的で、それゆえネットへの広告費の配分変化によって全体の効率性が増すという要因もあるが、そもそもマスメディアの生産工程が効率化するという要因もあることを忘れてはならない。
反対すべき論点はこのくらいだろうが、広告効果指標の進化が大事だという点については全く同感である。ただ、同感である理由は、それが広告費の支出原理を変える可能性があるからだ。
現状を言えば、広告費の決定方法はプロジェクト全体の費用から丸めで決めている。このため、基本的に企業支出全体の中の一定割合になり、ひいてはGDPの一定割合になるということ。この一定割合が最近変化しているという事実は確認できているが、このかなり乱暴な配分決定論をそれほど変化させているとは確認できない。
ただし、これが変わるべきではないか、という思いは、個人的には強い。
もし、広告効果分析がかなり精緻に行えて、個々のプロジェクト毎の収入との関係性を合理的に計測しうるとしたらどうだろうか。期前に広告費を戦略的に割り増しで設定したり、プロジェクト全体の総収入から、広告費を追加支払いする余地が生まれる。これは、広告支出=広告産業の収入を(減少させる可能性もなくはないが、それ以上に)増加させる可能性があり、これは広告費GDP一定割合の法則を乗り越えて広告産業それ自体としての成長を促す可能性がある。
もちろん、そんな技術進歩はなくても、単純に広告費の成功報酬は導入できるだろうという指摘はあるだろう。だが、現場的にはこれは企業の慣習とも関連した根深い問題*3であるし、そもそも期前に決める総額決定がえいやっの丸めでは、一定額を成功報酬用に留保しておいて、その中から一部成功報酬を出すということになるだろう。これは結果的に広告費の縮小になるので、企業の広告費を収入源とする産業としては絶対歓迎しないだろう。だが、広告効果の評価技術が十分発達すれば、単純に広告費縮小側に振れるのではなく、広告費増加側にも振れ得るので、事情は変わるかもしれないと期待している(ダメかもしれない)。
一般論として、あくまで成功報酬を目指すのが、「事業」の本質であり、市場におけるイノベーションの根源と考える立場からは、是非こうした仕組みに移行してほしいところであり、それを推し進めるためには、ネットが持っているライフログの料理法高度化には強く期待している。
以上の理由により、 @Kurarix の論旨には賛成しないが、広告指標の高度化には強く期待するものである。
以上。ぶひっ。
.
*1:実はこの議論はマルクス主義対市場主義の議論に似ている。個々の単位事象は物差しがない限り等価だと仮定するのは一見合理的に見える。だが、現実はしばしばそうではない。因みに、この仮定は科学の現場ではしばしば前提であり、理系出身の人がマルクス主義に傾倒しがち(小生の周囲数メーター基準)なのはここに原因があるのではないか、と思ったりする。
*2:新聞社や出版社、レコード会社、大手映画配給会社、テレビ局などのマスメディアは様々な意味で「マスゴミ」とか言われて嫉妬の対象になる。もちろん非効率性やレントはあるのだが、あるかないか、ゼロイチの議論をしてもしょうがなくて、定量的な議論が要るはず。小生は、本文にあるような理由から、それを業界全体の隠し配分源と見るのは、各省庁の「隠し財源」論に近い誤謬があると思っている。
*3:広告費は使い切り前提で動いており、追加支払いが発生するかもしれないという可能性を嫌う。