著作権に関する結論めいたこと#結論(3)

 さて、関係事業者から金を集めて、合意ができているコンテンツには利用量に応じた分配をせよ、その代わり二次創作は開放しろ、というアイデアを根幹においたこの提案なのですが、ここにはいろいろなツッコミどころがあります。そこを予め解説しておこうと思います。


 まず第一点ですが、そもそも「調整金徴収」というスキームを提案すること自体、産業政策という観点からは、かなり決断のいるところでした。つまり、ミクロ経済の基本に従い、価格と生産量の調整を市場で行わせるというのは、現行産業政策のドグマであるわけで、それに反しようというわけですから。
 しかし、電力やその他のように、財の性質によっては例外もあり得るわけです。では、デジタルコンテンツの場合はどのような例外なのか。
 デジタル環境下ではコンテンツ財の複製制御はほぼ効かないというのは僕のある種の結論でした。すると、あらゆるコンテンツは、デジタル環境はもとより、アナログ環境下で公開してもデジタルにキャプチャーされることにより、複製制御が効かなくなります。つまり、需給間での交渉が成り立たなくなるわけで、これは一般の財の性質に反しています。
 さらに、では公開する前に交渉することは可能かということを考えます。これは、関係者間の配分を決めることなどは有効だけど、個別価格設定は難しいと結論づけました。理由は、個別設定できるようになると、課金方式が入手毎/利用毎課金にならざるをえなくなり、デジタルコンテンツ個別課金不能の法則にぶつかるということです。おそらく、その海賊版が出回ることになるでしょう。そこで、むしろ出口で定額課金を実現するために、個別価格設定を排除せざるを得ないと考えました。
 その代わり、利用された量に応じて収益分配を受けるという仕組みはむしろ徹底することにしたわけです。


 次に第二点ですが、ネット空間と従来型メディアの間の二重構造には問題があります。この提案の肝の一つが、市場のなかからメジャー産業が使う大規模利用市場空間を切り出そうという考え(そして、メジャー産業専用空間以外に広く二次利用セーフハーバーをかぶせる)というものです。ネット空間と従来型メディア空間という二重構造は、このインディーズ許容型市場空間とメジャー産業市場空間という区切りに対応しているのですが、本当にそうか?という疑念が生じます。そこでメジャー産業紙市場空間は、だいたいメディアの形式に従い、例えばパッケージメディアなら販売量が分かっているというようなことを利用して、さらにメジャー産業「専用」市場空間を仕切ろうとしているのです。
 ここから二つの疑問が生まれます。一つは、従来型メディアの中に生まれた二次利用コンテンツをどうするかです。例えばコミケを考えましょう。だいたいは数百部の出版ですからセーフハーバーに入りますが、一万部とか売ろうとしているところはどうしてもここから離れます。「コミックとらのあな」や「まんだらけ」を使って全国販売している「自称同人誌」には、メジャーの産業論理の網をかぶせるということになります。悩んだのですが、まぁこれは白地でみればしょうがないかな、と思いました。
 次に、ネット空間は本当に小規模利用空間かということです。実はここは紋切り型に割り切ってしまいました。収益方法が十分にないので、大規模事業者は存在しにくいということ、そして単純複製はセーフハーバーの範囲外ということを前提に、無視しました。これは割り切ったところです。


 さらに、第三点として、技術的に、どうやって捕捉するかという点も問題です。登録によってウォーターマークを入れて、それをロボットが監視して回るというのが一つの考えですが、不正アクセスになるのではないかという考えが出てきます。これはまさに今後議論を精緻化する部分なのですが、個人的には、ロボット監視が一つの考え方かと思います。補足的に、ISPやインフラ事業者に利用両報告義務を噛ませてもよいかもしれません。ここでの議論のポイントは不正アクセス、及びその根幹にある静謐権の延長としての個人情報の保護の問題ですが、これは法律で除外規定を書いてもらうという考え方です。


 これは書けば書くほど法律での対応がどうしても必要になることに気付かされますね。


 あ〜、理屈っぽいことを書くのは疲れる。


 「テレビ進化論」(講談社新書です。週末には書店に並びます)は、こうしたことを考えることの一つの成果として書いたものです。


 それでは、これにて「とりあえず、前進」の幕を下ろします。
 二年間、前進を続けてきたのですが、前進と宣言して前進することに、少し疲れた感があります。そんなわけで、前進することは辞めないのですが、前進だと口に出すことを辞めようと思ったわけです。

 新しいタイトルは、次の書き込みで。

 では。




.