星野監督という限界

 目が点ということでは、北京オリンピックの野球日本代表を率いる星野監督の采配にも目が点になった。
 日本チームは予選リーグ4位でギリギリ決勝トーナメント出場という、お世辞にも好調とは言えない成績だった。中でも気になっていたのが、リリーフの岩瀬である。岩瀬が出た試合は必ず投壊し、さらに天秤の気を引いていたのが、必ずつまらないミスからの点数献上に繋がっていることだ。
 岩瀬の調子は良くない。明らかに、よくない。
 岩瀬の調子が悪いことは、問題ではあるけれど、それはそれでいい。だったら使わなければいいことだ。
 ところが、星野監督は、その岩瀬を同点に追いつかれた緊迫した場面に投入した。
 そしてやはり、岩瀬から日本チームは崩壊した。
 確かに、調子が悪かろうがなんだろうが、その選手を使わなければならない場合はあるのだろう。他に選手が居ない場合とか、その選手がチームを心中死させてもよいエースである場合とか。
 だが、岩瀬の起用はどちらにも当てはまらない。
 抑えの投手は他にも居た。すくなくとも、上原の方がまだよいという認識は誰しも持っていたのではないか。岩瀬がここまでチームを引っ張ってきた絶対のエースだというわけでも、もちろん、ない。
 なぜ、あそこで岩瀬だったのか。
 星野監督は、総力戦といった。
 ウソつきめ。ダルビッシュも、田中も、上原も使わず、なにが総力戦なものか。
 と、ここまで書くと、星野監督は最終戦に向けて戦力を温存したのではないかとも思えてきた。
 だとすれば、まさに星野は愚将である。
 この判断は、論理的におかしい上に、個人的には道義的にもどうかと思う。
 まず論理的におかしいというのは、韓国戦で総力戦をすることは全く理にかなっている。オリンピックでの目標は、もちろん、より良い順位をとることだ。仮に、仮にだよ、総力戦をすれば勝てるが、総力戦でなければ負けると仮定しよう。総力戦を準決勝に充てれば、メダルは銀である。しかし、総力戦を準決勝の次の試合とすれば、メダルは銅になるのだ。よりよい色のメダルのためには、韓国戦を総力戦にする必要があることは明白だ。
 さらに、韓国は今回予選リーグを全勝で勝ち抜いた堂々の一位である。その韓国チームに総力戦を挑まないなど、一位チームに対して失礼極まりない。
 今回、韓国はきちんとした試合運びをしている。立派なものだ。
 なにが星野の采配をここまで非論理的にしたのだろうか?
 あるいは、アジア最強という思い上がりだろうか。
 アジア最強。うん、そうかもしれない。選手達は、ひょっとして。
 だが、チームは、監督やその他のスタッフも入って「チーム」である。仮に選手が最強でも、他のメンバーがアキレス腱になれば、総体としては最強ではない。
 天秤は、星野監督という存在が日本チームのアキレス腱だったのだと思う。
 そして、アジア最強は韓国チームである。少なくとも北京オリンピックでは。それは事実が証明しているし、それを否定し、「実は日本がアジア最強」とかいうアホウなことは絶対に言ってはならないのだ。
 負けを認めて、もうオリンピックでの野球がない以上、次のWBC、また他の機会で韓国チームに挑戦し、そして勝ってみせる。それしかない。
 それにしても、今期の韓国はいいチームだと天秤は思った。

ならば敗因は監督選びの段階ですでにあったのだ

 上のエントリーを書いた後、ウェブを見ていたら、こんな記事に出会った。
 まさに愚将、ここに極まれり、である。
 勝つために最善の手を打つのが指揮官の義務。「自分のやり方」に固執するのはそれに反する。
 指揮官は数多くの戦略を日々学ばなければならない。仮に、勝つための「自分のやり方」が岩瀬の起用でしかないというなら、それは単に星野仙一というかつての名投手が指揮官としては能力不足であったということだ。
 そんな人物にチームをまかせた段階で、日本の敗北は決まっていたのだろう。


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