番組の転送視聴に著作権法上合法との判断が知財高裁から出る

 この問題は、ほんの2年前に「録画ネット裁判」として争われたものと基本的に同じ構造になっています。つまり、受信機と視聴者が遠隔であるような状態での視聴が私的複製の延長として許されるか、ということと、それを可能ならしめるサービスが合法であるか、ということ。
 今回、知財高裁はそのどちらも問題ないとしています。サービスは不特定多数にしていたとしても、受信→遠隔視聴という行為が特定されていれば、それは問題ないということ。極論を言えば、ブロードバンド系のキャリアが、転送システムを安価に大量購入し、東京や大阪に住む故郷を離れている人達にそれを貸し出すor購入してもらうことで、そこでの番組を今の居場所でも全部見えるようにしてあげることが可能だということです。
 地デジ再送信問題について延々論じられた県域免許の是非ですが、それは電波利用の問題であり、コンテンツ視聴の地域構造を積極的に縛るものではないということである、という司法判断と読み替えても良いのかもしれません。
 裁判所の判断ということで、ひょっとしたら一部の事業者は「裁判所めよけいなことをしおって」と逆恨みするかもしれない。でも、間違えてはいけないことは、こうした変化はすでに全国を繋ぐ汎用有線ネットワークの出現と共にひっそり起きていたことであり、けして法制度や裁判所が敢えて起こしたものではないということです。自動車が生まれれば、馬に頼った運送業者は窮地に追い込まれますが、それは輸入業者のせいではなく遠い異国の科学者が作り出した変化です。逆恨みしてはいけない。運送業者には馬から自動車に移行するという道もあるわけです。私はそれを期待したい。
 どんなに誤解されても、僕はテレビ局の味方なのですよ。うん。
 とりあえず、更新。あとは、後ほど。



で、後ほどの追加分です。


ここからは嬉しさいっぱいではありません。モード切り替えてお願いします。
 津田大介さんのブログに詳しいんだけど、(株)オリコンがジャーナリストの烏賀陽弘道氏に5000万円の損害賠償を請求している。言論圧殺、原則通りの損害賠償訴訟、その他いろいろな議論はあるのでしょうが、感情論は抜きにして、考えてみたいのです。


 ジャーナリストが訴えられる場合、いわゆる名誉毀損の類の裁判が多いです。厳密に言えば今回の損害賠償は風評被害的なもので若干違いますが、広い意味では、法人としての名誉毀損とそれによる関連被害を求償するものとして、同列に考えてよいと思います。
 こうした事案でジャーナリストに求められるものは、だいたい、それが事実であると認識するに足る十分な取材という事実の疎明であり、発言内容が事実であることまでは求められないというのが一般的なようです。そんなことでは生ぬるいという声もあるでしょうが、取材源の秘匿など諸般の事情を考慮すれば、それでもジャーナリスト側には簡単ではない疎明内容でしょう。
おそらく烏賀陽さんも、そうした疎明をすることになろうかと思います。
 もちろん、その心証形成は裁判の過程の問題で、今、烏賀陽さんの取材内容を事細かに知っているわけでもない僕がどうこう言うことではないと思います。


 さて、次に、賠償請求額の問題です。
 5000万円という金額が多いかといえば、おそらく被害額としては高すぎるとは思えない。それを言論封殺というのはやや言い過ぎのように思います。たとえ「言葉」であっても、それくらいの影響は出る。単純に損害賠償をすればこんなものか、或いは訴訟当事者に言わせれば、これでもかなり小さく見積もっているという気持ちでいることでしょう。
 ただ、訴訟法的な次元では、この5000万円という金額は厳しい。つまり、裁判着手金が個人ジャーナリストには自弁できないという問題があるわけです。結果的に、裁判に応ずることさえできないという問題が生じます。


 問題はここに尽きると考えます。
 たとえジャーナリズムといえども、軽々に他者に損害を与えてはならないことはもちろんです。それが例え悪名高い大企業といえども。そして、一度損害を与えてしまえば、それに見合った賠償をなす義務があることも、また、否定できないところでしょう。
 そういう意味では、裁判で判断を受けることすらできないというのでは、お話にならない。ジャーナリズムが大メディアに独占され得ない現代において、間違った言説で他者に損害を与えたジャーナリストがその結果破産することは已むを得ないあたりまえのことですが、そもそも小さな言説にこうした司法判断の機会を与えないというのは問題です。
 だから、5000万円が言論封殺だという言葉は、感情論的にはオリコンに対して投げかけたいかもしれないけれど、第一義的には制度の不備に対して(というと、これを所管する法務省に対して?)投げかけるものでなければならない。
 そもそも裁判着手金というのは所詮司法界のビジネス事情で決まるものであり、言い換えれば、割引の可能性もありうるものです。また、ジャーナリズムによる互助的な基金の創設も検討されてよいでしょう。いずれにしても、今回のことをどうやって救うかというのは議論されてよいでしょうが(カンパやる?少しなら応じるよ)、そもそもの制度を検討しなくてはならないと思います。


 その上で、インターネットが普及し、ブログが(自分もそうだけどさ)誰でも書けるようになった時代に、この言説による損害賠償という問題は、書き手に一定の覚悟を要求するのだと思います。
 官庁や大企業、大メディア、そして有名人は目立つ存在で、批判の対象にしやすい。そういう存在を揶揄することは、(品はないとしても)とても面白いことであることは、だれも否定しないでしょう。しかし、その損害は誰がどのように救済するのでしょうか。有名税?やられ損?それはあまりにも発言者としては無責任だ。
 無記名なら(求償相手が見つからないから)事実上免責され、記名なら損害賠償のリスクを負うというのは、社会的に妥当なリスク配分とは思えません。
 責任ある言説は、記名の発言からくると思います。その意味では、烏賀陽さんはどうどうと書いている、勇気ある人です。仮に裁判で取材が不十分だと判断されるとしても、反省するべきところはして、またよい文章を書いてくれると期待してよいでしょう。匿名で、他者を非難して書き逃げする人よりは、確かな書き手だと僕は思います。
 こういう人を助けたい(って、オリコンさんだって、こういう気骨のある書き手を潰すのが長い目で見て日本として損だということはわかってらっしゃるでしょう?)。そのための制度と、とりあえずの手助けは、したいと思うのです。





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