Exhauseted

絶句するほど時間がない。だから何か感動しないと書かない。感動したから書く。
KOボーイIKEGAIくんのmixiをたどって、「ブロガーの行動規範」が実現した或る未来社会についてというコラムに行き着いたんだけど、これ名文*1。解説はいらないと思うが、一読の価値有り。


実体がない空間には、領域もしかとは描けず、なにより十分に束縛する権力がない。よって血肉無き人々は縛られずたゆたう。
ネットワーク*2は束縛する*3が、ノードはその束縛を常にすり抜ける。「利便性」の名の下に一般的なデータ表現法が整備される度に、束縛の穴は大きくなる*4。使われることで成り立っているものは、サービスであれアプリケーションであれ、自らを蝕むことはわかっていながら、支持者の要求を無視できない*5


話がそれまくっちまった。


そうした供給者と利用者、ネットワークとノードの関係に上にしか、ルールは定立し得ず、供給者の力の範囲にしか、法*6は存在し得ない。法を法たらしめるものは、ルールではなく、力である。その力が相対的なものでしかないとき、そしてそれが競争的に並立するとき、法(法の束という意味で、「法体」とでも呼びたいくらいだ)の派生と選択のメカニズムが生まれる。これを法進化論っていったら笑われるかもしれないが、そう呼んでもよいかも、だ。


僕は永いこと政府で仕事をしてきた。そこには一つ大きなイデオロギーがある。それは法は政府(そこから流出論的に理解できる地方政府や各種団体、事業者を含む)に独占されているということだ。だからこそ一生懸命に文字を詰める。でも、だからこそ間違いを認めない。だからこそ、指導者然と振る舞う。


法は政府が独占しているだと?
うそつけ。


法は、政府と、全く同等の独立性で存在している企業や、人々との間で生まれる実態だと僕は思うし、そういわざるを得ない。事実、せっかく作った法が世の中に無視されたり、意図的にまげて解されたりすることを政府、役人は見てきたはずだ。行政法におけるかつての京大学派は裁量権は役人の判断権から不可避的に生じると説いたが、その通りだよ。でも、同じ判断権を、行為の決定権から不可避的に誰もが持っているんだ。そうでなければ司法制度や警察制度なんてなくていい。しかし、そんなエンフォースメントの光は世の中の一部しか照らさない。プライバシー保護が重視されることで、それが照らし得る範囲はどんどん狭くなる可能性は否定できない。
繰り替えす。法は、政府と、全く同等の独立性で存在している企業や人々との間で生まれる実態なんだ。法律学だって教えているだろう、「慣習法」の位置づけを。
政府よ、官僚よ、そこから逃げるな。政府の責任に過度に怯えたふりをして、対応を打ち出さない怠惰と責任逃れを「慎重」や「誠意」という言葉で正当化するな。
そして、政府よ、官僚よ、そこで萎えるな。政府の力に限界があるからといって、やる気を失って、責任を投げ出すな。
失敗を恐れず、口をつぐまず、出てきて喋れ!説け!学歴や地位に逃げ込まず、一人の提案者、発話者として、聞くものを納得させ、実態としての法を作り出す一つのノードとなれ!法を進化させよ!国会の制限*7を超えろ!*8


俺だって、無力だけど、無力なりにこうやって叫んでるんだ。みんなだってできるだろう。



うーん、書きたいこと書いちまった。これだから疲れた頭の夜明けはイヤだ。





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*1:誰が書いてるのかなぁ。僕は顕名で書いているのだけど、ネット上なので実名わからない人がけっこういる。自由のためにはしょうがないが、知りたい〜という気はする。うん。

*2:ここでは、物理的な情報通信ネットワークだけでなく、その上で動いているサービスを念頭に置いている。ただ、サービス無きネットワークってあんまり想像できないから、その両者を区別する必要はとりあえずないかもだ。ま、THE-INTERNETとNGN程度の違いはあるが(って、それぜんぜん違うじゃん!)。

*3:ルールをユーザに及ぼし、ユーザのこれまでの行動の成果を囲い込んで、ルールから逃げるコストを高くする

*4:ユーザのあらゆる情報資産が、それを管理していたネットワークに囲い込めなくなり、ユーザがネットワークを選ぶようになる

*5:このデータ構造による束縛というのは、サービスでもアプリでも同じ。MS-OfficeがXMLベースでのファイル形式を採用せざるを得なかった理屈。それは沼本マネージャの誠意(笑)だけではない。

*6:ここではルールの中でも、違反行為への制裁によって実行力あらしめられたものを特に「法」と考えている。

*7:国会で作られたルールがそれだけでは「法」としては不完全であるという意味。別に国会が設定している政府や官僚に関する制限規定のことを言っているのではない。

*8:もちろん、同じだけ、無視し、抗う権利が国民側には用意されているんだ。でも、もし官僚でも政府でもよいことをいったなら、聞いてやって欲しい。誉めてやって欲しい。