RFIDって、なんてユビキタすぅ

 年末に/.が、09年より大手出版社がRFIDをマンガ単行本につけるという記事を報じているのを見ました。これは04年に経産省と出版業界が行った実証試験に端を発しており、それを横で見ていたものとしては感慨深いものがあります。


 コンテンツの流通方法におけるパッケージメディアの特性の一つに「断絶」があります。一度売ってしまえば、売主はそれを特定できない。それは積極的に解すれば購入者の自由利用の「権利」となり、消極的に解すれば売主が買い主の向こうにあるだろう社会的効用拡大現象からの配分には与れないという「収益機会の限界」(その裏返しがファーストセルドクトリンになる)になります。ちょうど権利論における「時効」のように、立場によって評価は正反対になります*1。マンガコンテンツのパッケージメディア形式である書籍にRFIDをふり、これをリアル空間に設置したRFIDリーダで常に位置補足をすれば、擬似的にある程度この「断絶」を克服、解消することができます*2


 と、まぁこうやってみてくると、「断絶」の評価問題が再燃します。つまり、「断絶」は已むを得ないことであり、それによる「権利効果の断絶」は、この変化によって本来の形に戻るべきだという、「断絶の消極的評価論」が一方にでてきます。しかし、この反対には、「権利の断絶」とはもう一方の権利である購入者の権利を裏から規定したものにすぎず、現実問題として「断絶」が克服されたとしても、それが社会システムにはなんら影響を及ぼさないという「断絶の積極的評価論」があります。
 さて、どちらが・・・ってぇことなんですが、著作権法というのは「利用者の権利」を積極的に書いていないというものすごいワンサイドルールなので、断絶の積極的評価論はやや分が悪い。MIAU頑張れ、って感じすらします。まぁ、利害対立者の双方に関与させないと法制定プロセスは完了しないという官僚業界の常識のおかげで、著作権法といえども利用者が物言う機会は残されているのであり、実際にはそこまでワンサイドではないのですけどね。いずれにせよ、どちらかといえば「断絶の消極的評価論」有利な気が僕にはします。


 で、何が言いたいかというと、この「断絶」を「現実環境に基づく已むを得ない事情」と観念する限りにおいて、話はフラットに進まないということですね。そもそもさぁ・・・なんて、本旨に帰ろうという甘い誘いに乗っても意味はないわけです。それはもう一度、どちらにするのが世の中的によいのか、という社会的ルールの選択を今新たにしていると観念されなくてはならないわけです*3
 おそらく、RFIDが一般化すると、中古販売やレンタル、閲覧などの条件フラグを一冊一冊に記すことができるようになりますから、ファーストセルドクトリンを超えて、そうした権利を法的に、或いは標準販売契約を使って事実上、創設することは可能になります。その時、供給者側がそうした要求をすることについて、利用者はどのような抵抗が可能なのでしょうか。そして、その具体的条件はどういうメカニズムで調整されるのでしょうか。
 供給者が競争的に様々な条件を提示するという考え方もありますが、それに頼ってよいのでしょうか。仮に、供給者の協調的アクション、或いは業界団体による標準契約約款の提供、ひょっとしたら業界全体での許諾事業者設立などが起きて、実際問題として競争が発生しなかった場合はどうでしょう。独占禁止政策としてはどう考えることになるのでしょうか。


 僕自身は、意外かもしれませんが、マン喫などの閲覧ビジネスからコンテンツ産業への報酬分配はあって然るべきと思っていますし、中古販売についてもそれは同様です*4。ただ、そこに至るプロセスが、権利者や版元などの供給者による一方的な煽動で進むことには極めて強い問題意識を持っています。
 ジロンド派である僕ですらこうなのですから、ジャコバン派であるMIAUの方々はもっと過激な反対論を持っていると思いますがどうでせふ?(インターネットじゃないから知らない、って論理もあるけどさぁ)


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*1:「時効」は、侵害者の立場からはそれまで築いてきた社会的関係性の安堵となり、被侵害者の立場からは侵害の求償や復讐の禁止になるからです。権利というのは、一般に、ある正統性を根拠に認められることですから、その保有者はどこまでもその正統性を貫くべきだと考えるのが普通です。それが論理的帰結か、自分の権利を保持したいという欲動かを問うのは厳格すぎるでしょうし、どうせ本人にはわかり得ないという意味で、意味あることではないでしょう。しかし、一つの正統性には、別の正統性が対峙し得ます。そして、時に後者が勝り、前者の正統性が否定される場合があります。「権利の限界」というのは、たいがいこうしたものです。こういう場合、後者の、対立する正統性に対して、もとの権利者は当然ながら厳しい目を向けがちです。そうして、なぜ法はそんなふとどきな正統性を擁護し、本来守られるべき正統性を断絶するのか、と非難することになります。これもまた、よくあることです

*2:かつて「ユビキタス」が政策立案上のバズワードとして花盛っていたころ、RFID無線LANや携帯電話と並んでもてはやされました。RFIDは、主体ではなく、客体を、リアル空間からバーチャル空間へマッピングする重要なツールの一つだというわけです

*3:なんだかレッシグがCODEの中で指摘したような気もしますが・・・

*4:利用法が多様化している時、ファーストセルドクトリンを過度に維持すると、最初販売価格の高止まりが激しくなります。これを問題視しているわけです。マン喫問題なんて、最大の問題は出版業界からマン喫業界が「課税される」ことではなく、どの本が一番読まれた=価値を発生させたかが分からないがために分配の公正性の確保が難しいということだと、僕は思っています。