リンデンラボが日和ったこと

 昨年はセカンドライフで明けて、電脳コイルで幕を閉じた、まさに「リアリティを問い直す年」であった*1
 セカンドライフには、一年間複雑な想いでお付き合いさせて頂いた。というのも、ブームになるほどのものでもなく、かといって可能性や面白さがないただの煽りでもなく、といった感じだったからだ。それで、とりあえず通貨と金融のこと*2と、社会的な労働配分に関すること*3の二つを語るようにしていた。まぁそれはそれでよい。
 で、セカンドライフの可能性はまさに現実と仮想をつなぐ金融機能にあったわけだが、その主催者リンデンラボが、セカンドライフ内の銀行業務を規制することにした。ここでいう「銀行(Banks)」は、公式blogを見ると、定額利子を約束する金融機関をいうらしい。定額利子つき金融の禁止というと、イスラーム法のriba'禁止を思い浮かべてしまうが、別にローズデールがムスリムになったとかいうことではないのだろうと思う。
 ここには二つの感想がある。一つは、市場主義を貫くかと思ったら、意外に簡単に日和りやがったな、ということ。なぜ日和らなければならないかというと、公式blogはユーザー保護だというが、だとするとこの質問はユーザー保護を何故しなければならなかったのかという質問に転換される。そりゃいうまでもなく、リンデンラボはセカンドライフでメシを食わなければならないからだよ。うん。
 で、もう一つの感想にするっと移る。それは、やはりこうやって「政府」は肥大化するのかということだ。セカンドライフにはもう一つ、公権力がどうやってその事業を増やし、ルール設定を増やしていくのかというシミュレーションという側面がある。あー、金融監督政策が出てきたなーという感じだ*4
 で、これで二つの感想を重ね合わせると、やはり、政府の規制とは、そこから政府があげる収益=税金を主たるモチベーションにしているんだという、見たくなかった事実*5の発見である。そうかぁ、やっぱりナァ・・・




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*1:GLOCOMで仮想世界研究会に参加しているのも、まさにそういうことからなのだが。

*2:貨幣のそもそも論は地域貨幣以降それなりに復権してきているのだが、マル経ってハァ?の最近の経済学にはいいバランスをもたらしてくれるのかと期待しないでもない。経済学が金銭量である限りそれは物理学のメタファーでしかなく、価値量の話として初めて数学的な応用力が生じるのではないか。そうなって初めて、経営とか、政策に真に応用できるようなものに、経済はなるのだろう。

*3:仮想と現実の二国間貿易の理論を演繹して、それぞれの國の比較優位に基づき、労働力という財の投入量がどう変化するかを説明する。もちろん、労働力は人日単位で、両者は総和一定とするわけ。

*4:まぁ通貨市場への介入もしていたので、別に新しい傾向とはそもそも言えないのだけど

*5:そりゃ、役人としては、こんなことは認めたくない。「国のため」というもう少しウェットな感覚を持っていたいものである。しかし、やっぱそうなんだろうナァ、というのは、まだ一応現役の役人として、少しく実感してはいた。