著作権に関する結論めいたこと#結論(2)


 さて、昨日書いた結論について、なぜこういうことになったかを簡単に説明します。
 本制度の目的意識は四点です。


 第一点は、ネット上であれ、利用に応じた収益をコンテンツ製作者に配分する仕組みが要るということです。とはいえ、すでに“結論めいたこと#2”でも説明したとおり、Pay-Per-Useはまともに機能しません。Pay-Per-Useを徹底させるべく違反利用を公的負担で摘発することも考えたのですが、コストが積み上がっていくだけに終わるのがほぼ見えたので、これは従来の自説を撤回しました。そこで、許諾行為と収益行為のバーターをするという著作権法の考えに縛られることなく、消費者から無理がない形で無理がない程度のお金を集めるという考え方に立ち戻って、集中課金方式を採用しました。登録が任意であるということで、直接権利を制限するようなやり方を迂回できるため、国際条約との整合性をとりやすいという副次的効果も魅力でした。


 第二点は、一般ユーザーを潜在的違法状態からなるべく救いたいということです。海賊版現象の研究は、コンテンツの利用量は価格弾力性が低く、正規版を使うか海賊版を使うかが、それぞれの入手コストの比較によって決まるということを示唆しています。従って、ほとんどのユーザーが海賊版利用をどういう形であれ犯してしまう可能性が高い。これを合法化するには、ネット上のあらゆるコンテンツを無条件利用可能にする必要があります。これを権利の発生や効果のレベルでコントロールすることは法政策上難しいですが、強力なアメがある任意法規で慣行上全てすくい上げてしまえば同じことになります。調整金方式は目の前に労せず入手できる(だろう)お金を積み上げることになるので、この点では十分だと考えました。


 第三点は、二次創作を奨励したいということです。コンテンツ産業の基盤はまさに人材の能力をいかに開発するかにかかっています。これまでのクリエイタの意見を総合すると、まずは「まねび」=学びによって技巧を身につけ、その中でオリジナリティを養いながら、最終的には真似に終わらず自らの作品を生み出していくというプロセスが王道のようです。
 さて、ここでコンテンツ産業がコミュニケーションの海の中に還元されるかというと、私はそうではなくて、そこに引き続きメディア産業の役割が残ると考えています。これはパロディ作品の多くがメジャーコンテンツ産業の商品コンテンツを対象としていることからもわかります。
 そこで、ネット上を一方ではコンテンツの自由利用領域として二次創作を誘発しながら、他方ではそれがメジャーコンテンツの領域に入ればメジャー=メディア産業の権益を守るという二重構造を作ることにしたわけです。また、同一性保持権をより敷居を低くして部分的に残したことは、一方にはベルヌ条約の要求する最低限を保持するという法技術的側面もありますが、それより実質的に「作家同士のリスペクトという感覚を体得する」ということを確保したかったからです。その限りにおいて、許諾を得るという行為無しに、二次創作作品を作り、公開することがネット上では可能です。


 最後に第四の点なのですが、利益配分の基準点を明らかにしておきたいということです。あらゆる契約内容は勝手に当事者が決めればいいという民法領域の原則を受け入れますが、しかし、判断には基準も必要です。米国だと産業団体間で協定を結んだりするのですが、日本では特定の企業や業界団体が勝手に打ち出した基準がほとんどで、客観的な基準として採用できるものはほとんどありません。そこで、法制定スキームの中で、今の業界基準(印税は10%なんていい例ですが)を明らかにしようというものです。もちろん、これはコンテンツの製作や取引の契約の中でいろいろなことが決められないことに対応し、それを補完するという役割を与えているわけです。


 こうして、コンテンツの流通促進、それと表裏一体のものとして創造者への配分実施、同時にデジタル環境らしい二次創作行為を法的セーフハーバーの内側に入れてしまう。そして当事者が明示的に決めてあることはなるべく尊重し、同時に、明示的に決めなくても混乱がないように、周辺の取り決めを全部やってしまおうということ、これがこの提案の本質なのです。だからこそ、これは著作権者相互の関係を調整する任意法規になるわけで、著作権法とは違ったスキームになるわけです。


 ところが、この提案にはいくつか原理的問題があり、産業政策上、ある種の決断をせざるを得ませんでした。明日は、本提案の問題点を敢えて論じます。




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