やっぱりネット権はわからない。それよりも・・・

 日経デジコアのオープンフォーラムに出てきた。テーマは「コンテンツ流通の新たな社会基盤整備へ向けて」ということで、著作権にかかわらず新しい「しくみ」を模索しようということだ。
 この種のシンポジウムでは珍しく、西村あさひ法律事務所の岩倉弁護士(というか、「有識者フォーラム」の岩倉事務局長)が御登壇されたので、いろいろお話をお聞きすることができた。
 だが、よくわからない。岩倉氏の説明でよく分かったことは、(1)契約スキームではまだるっこしいのだ、(2)流通させたいという純粋な想いなのだ、ということである。天秤もこの部分には共感しないではない。しかし、天秤から見て、この制度スキームは弊害の方が実益よりも大きい。
 iSummit2008以降、天秤はデジタル革命対応制度の設計に対する三つの視点として、(1)コンテンツ事業者に利用量に応じて適正な収入をもたらすものであること(創作者受益原則)、(2)利用者に可能な限り自由な利用環境をもたらすものであること(利用者受益原則)、(3)上記二点以外の外部効果を持たないこと(中立性原則)を提示することにしている。この視点から見て、ネット権は(1)は?、(2)は○、(3)は×であり、及第点にはほど遠い。
 岩倉氏の指摘の中に、ネット権付与対象はメディア事業者に限らず、公正分配できる事業者なら誰でもOKというのがあった。これはとても重要な表明で、ネット権が従来型メディア事業者の特権創設だという批判に応えたものなのだろう。
 しかし、そうなると「公正とは何か」という疑問がまたぞろ大きくなる。岩倉氏の言うことを素直に聞くと、ネット権は排他的利用権ではなく、非排他的利用権なのだ*1ろう。そうなると「公正さを担保する最低限の基準に関する規定(以下、「規定」)」がとても重要になる。

 岩倉氏は、別のところで「規定を満たす利用者に対しては応諾義務を規定しても良い」といっているが、このことは上記のように考えるととても論理整合的なのだ。ネット権が非排他的であれば、ネット権は、事実上、規定による報酬請求権と同じになる*2。だから、この規定の決め方がはっきり決まるまでは、ネット権の議論は前に進まない。

 話はいよいよ混乱してきた。本当は、ネット権という提案を、透明な手続きで修正していくオープンな場が必要なのだろうが・・・。あ、それではネット権の動きと正反対だ。困ったな。さてさてどうしたものかいな?


 だが、オープンフォーラムでなされた重要な指摘は、よりデジタル流通にお金を誘導する仕組みが大事だという議論が、パネリストの中では有力だったということだろう。問題はお金のまわり方なのだ、と椎名和夫さんは言った。中村伊知哉さんは情報通信事業者の金が1%でも回れば、と言った。天秤は、10%を利用調整基金に回せ!といった。
 本当に重要なのはそっちなのではないか?
 業界をとりまとめ、政治力を発揮するなら、そうした産業間の調整で、利用者に面倒をかけず、また創作者にも利益を返せる仕組みを考えるべきなのではないか。心からそう思う。


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*1:設定という法的段階が一段はいることになり、契約を待ってられないよというネット権のセンスに合わない。なお、もしメディア事業者は当然に当該コンテンツに関するネット権を取得し、非メディア事業者の場合は契約を待ってネット権を獲得するというのなら、やっぱ特権なんだよ、それは。

*2:報酬請求権化といえばJASRACがイメージとして分かりやすいが、JASRACとは単に窓口が沢山あるだけという点で少し違う。