ググる〜グ〜グる〜よ〜世界〜は、ググる〜♪

 ようやくここ数日、グーグルブックの和解案の話題が日本でも報じられている
 まず、日本については云々というところを抜いて、この和解案を考えてみよう。
 第一に、ここに至る決定過程から。これは相変わらずの「やってしまって、後から裁判で正当化する」というグーグルの王道戦略の成功である。世の中、やってしまうと、敵も活性化するけど、味方も相当つくわけで(つかなければそれまでなんで)、裁判所なんていう「バランス感」の府に行けばだいたい勝ち目は出てくる。もちろん対する側はグーグルの出鼻を挫かなければならないのだけど、世界中著作権者というのはだいたい腰が重いものなので、グーグルに勝てない。結局、追認させられるハメになる。*1


 第二に、グーグルは何を狙ったのか。実は、これまでも様々論じられてきた、「使い放題+利益分配」という著作物利用システムの構築である。(おおっ、珍しく言い切るなぁ)。「許諾+対価回収」と天秤棒の両極端*2に位置するこの「使い放題+利益分配」モデルの変種が導かれる所以は、「許諾権とか行使したくてもどうせ管理できないでしょ」という諦観にある。ひょっとすると、その向こうに、グーグルが、日本で言うところの「ネット向け出版版JASRAC」という美味しい利権があると思っているかもしれないけど*3、そのくらいはいいよというところか。*4
 ただ、この諦観が曲者だ。この手の議論でよくある理由は、ネット上でのコンテンツ管理は無理だろうという諦めを理由にするものだ*5が、今回はもう一枚議論を噛ませている。それは「海賊版が存在するのは正規版がないからで、海賊版を監視するのは正規版のためである。正規版がないコンテンツはそもそも監視される可能性すらない」というもう一つの諦めで、これは海賊版対策の業界ではある種の黄金則ともいえる命題なのだ。これを持ち出した分だけグーグルの主張は巧妙だ。
 だが、ある行為がたとえ完全に止められないとしても、それが合法とされるか、違法とされるかで、その頻度は変わる。だから「止められないから合法化する」というのは暴論である。そのくらいは裁判所もわかるだろうから、逆に言えば、この和解案は「世にある知を利用可能にして、世の中に貢献する」、そして「使われただけの対価は支払えるようにすることで、死蔵資産を活性化する」という二つの理想言に裁判所が頷いた、ということを示している。


 第三にその効果に関する論評だが、もう上で書いたとおりなんで、そのくらいの効果はある。だが、広告費の制約原則*6を考えると、そのくらいの効果しかないとも言える。*7
 だが、それは収益ゼロという状態よりましというだけで、本来市場に期待されているコンテンツそのものへの対価設定メカニズムが働いていないのだから、天秤は簡単には頓首出来ない。加えて、公開しないという判断は飢餓感を煽って対価をつり上げる正当なビジネス行為の一過程だから、ましといってもごく短期的な意味ではと限定せざるをえない。*8
 重要なことは、産業としてのビジネス設計を、公共政策で横から崩すにはそれだけの注意が要るということである。
 例えば、登録制による「使い放題+利益分配」型の制度構築論が日本でもある。だが、日本の場合、制度の前にできたものとその後にできたものの違いや、デフォルトとして「許諾」型で権利者の意志により「使い放題+利益分配」型になるのか、そもそも「使い放題+利益分配」型でオプションとして「許諾」型もあるのかという設計論には相当気を遣っている。そこらへんが、意図的かどうかやや悩むところだが、粗い。


 それで、第四として、冒頭無視した日本についての効果という点だ。
 正直言えば、短期的には日本市場への影響は一定のものにおさまるだろう。米国市場で大きな利益を上げられている書籍はそう多くないし、逆に言えばそういう書籍はそもそも米国でビジネスをしているはず*9である。
 だが、長期的には、同様のサービスを日本でもするべしという社会的圧力が高まることを、業界は覚悟しなければならない。長期的な問題は小さくないだろう。


 ではどうすればいいのか。
 単純に言えば、まず予備的に相手のリクエストに従って対応するべきだろう。書協、雑協が日本のすべてのISBNコードをとっている出版物の名前をグーグルに送りつければ当面は何とかなる。もしグーグルに公開してほしいと思う企業があれば、むしろ書協、雑協はそれを受け付けて、グーグルへの送り付けをその部分だけ撤回すればいい。これでデフォルトを「使い放題+利益分配」型から「許諾+対価回収」型に変えることができる。
 だが、これで問題は解決しない。グーグルが突きつけた問題意識そのものはかなり正当だと天秤は考えるからだ。逆に言えば、グーグルにはノーといってもよいが、じゃぁどうする?という問いが残るわけだ。
 天秤がお薦めする王道は、むしろ日米問わず、ネット閲覧サービスを出版社側がやるしかないということだ。しかも、それなりに妥当なコストで。結局はグーグルと同じになるとしても、ユーザーIDやその他の資産は残るわけだし。そもそも、スキャンする作業がそれほど規模の経済性が高いとも思えないから、グーグルがやろうが自分がやろうが、コスト面でそうそう差はないはずだし。それに、それだけ対価を払っても守りたいコンテンツだったらそれなりのものだろうから、版元系配信サービスはメジャーな作品があり、グーグルはそれ以外という仕分けを作れたらラッキーである。
 それでもそんなコストは負いたくない(そうだよなぁ、それするくらいならもっと前にやってるよなぁ)というなら、逆にさっさと白旗上げるのも手だ。そして、そんなイヤミな紙爆弾を早々に止める代わり*10に、日本のあらゆる書籍についてそれを検索して読んだユーザのID情報の提供、百歩譲って、そのユーザへのマーケティング協力を無償でグーグルに義務づければよい。自分でやるべきことを全部グーグルをOEMにして実現すればよい。負けまくってからこんなこと持ち出したってどうしようもないから、やるなら早いほうがよい。


 だけど、最も本質的なところは、出版産業がこういう環境変化を前提にビジネススキームを調整しなければならないと真剣に言われているんだよ、というところ。それを理解しない限り、長期戦の果てにはグーグル大勝の画しか、天秤の頭には浮かんでこない。
 頑張れ、日本の出版社!





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*1:実は、日本ではグーグル以前にもこういう例があった。それが「貸与権」で、腰の軽かったレンタルレコード業者に既成事実を作られて、最後は著作権法改正をしてもその存在は止められなかった。まぁ著作権者自らそれなりに動いて、結果、貸与権料を何とかとれただけ、今回よりはましかもしれない。

*2:本当は、この先に利益分配すら否定する「完全使い放題」モデルというのがある。が、これは産業システムを全く無視した暴論なので、対極というより、もう向こうの世界の話である。よって、ここでは無視する。

*3:まぁ利益の63%を吐き出せという和解案は、この点でそれなりのバランス感を保っているつもりかもしれない。

*4:もちろん、これが行き着く先は、全部コンテンツは使い放題で、使われただけ、一定の使用料がコントロールセンターから配布されるという究極のコンテンツ共産主義ワールドであるが、こう考えると「ダウンロード税」を読み間違えたのも何かの前触れだったのかもしれないと思う。

*5:天秤が「テレビ進化論」の最後で触れたのはまさにこれである。

*6:一国経済の広告費は、<GDP×その経済に固有値>で固定されるということ。

*7:ここら辺が微妙なところで、福井健作弁護士や牧野二郎弁護士は、全くダメというわけではないから検討したらどうかという論旨でほぼ一致している。こういう視点はありだとおもう。だが、見識の深い福井、牧野両氏ならば、ネット社会ではこういう事態は合法、非合法を問わず起こりうるわけで、それを見越したビジネスモデルを採用すべきである、というくらいのコメントを発して頂きたかった(ひょっとしてそういうコメントだったのが短くされただけかもしれないけれど)。

*8:例えば、仮に、「北斗の拳」のパチスロがすっげーブームになって、それで「北斗の拳」の単行本を400円くらいで出したとするでしょ。もう新作はないわけなんで、これを読まないとあの伝説の作品は読めない、と。ところがネットで見放題だったとすると、こりゃ価格を落として、ブックオフくらいの額にしないといけないでしょう。そういうこと。

*9:もしまだしていないなら、した方がよいよ。あ、逆にグーグルからの支払いで、米国での潜在市場を発見出来るかもしれないということはあるけどね。

*10:当たり前だが、交渉する際には権利を留保しておくことが大前提なので、書協・雑協紙爆弾作戦は、この戦略の前提条件になる。