音声主義と文字主義の間の意外なほど広い断絶

津田さんに影響されてtwitterを再開して数日経つ。
まだ距離感とか感覚がよくつかめないけど、まぁそういうものだろう。

で、何といっても「つぶやく」くらいのレベルだと、携帯に文字を入力するのもストレスになる。と思ったところで、Google音声認識・文字化技術*1のことを思い出した。
だが、日本語だと同音異義語が多いから、やっぱ発語者の修正というフェーズは入力途中に入れなくちゃならない。これをスルーしようとすると、私たちの言語イメージそのものを入力しなくてはならないけど、これって「ぶっさし系」*2になっちゃうよなぁ。
そうなんだ。欧米のような音声主義*3のところと、未だに表意文字・漢字を擁する東アジアの文字主義*4の世界では、デバイスに関する指向性まで変わるんだなぁ。
といまさらながら*5感じ入った次第。


.

*1:何かで読んだが、Googleは音声を拾って、文字化する技術をマジで実用化しようとしている。これに自動翻訳を入れることを当然視野に入れての話だ。

*2:神経系から直接情報を機器に入れる入力方法のこと。こうした世界観を描いた映画「攻殻機動隊」で、主人公達が首の後ろにネットワーク端子を「ぶっ刺す」ことで接続することから、こういう言い方が生まれた。少なくとも、GLOCOM周辺では(苦笑)。

*3:言語を音の連鎖として認識する部分が多い世界。厳密な表音文字圏、と言いたいけど、英語のようにスペルと発音が不一致なところもあることは笑って許して。

*4:言語を意味記号の連鎖として認識する部分が多い世界。そうすると韓国は東アジアだけど音声主義世界に入れるべきなのかなぁ。

*5:キーボードからの漢字入力、ポケベルの使い方、ケータイデバイスへの文字入力などのシーンで、コンピュータが出て以降、本当はずーっと感じていたことなのだけど。