Blueな日々が続く

 面白い話を僕がした翌日に、父がこの世を去った。バタバタといろいろあって、時間が過ぎて、この日記の更新が遅れた。

 今日、サンデープロジェクトで石破防衛庁長官の台詞を聞いていた。実は僕は北陸放送でたまに喋ることになっていて、その事前の準備の中でイラク派兵問題についてのお喋り案をまとめたところだったのでちょうどよかった。

 問題は、自衛隊派兵の性格、正統性、国益性、安全性の四つの次元で展開されている。これがそれぞれ食い違っているから質が悪い。

  1. 自衛隊派兵の性格:自衛隊派兵は、イラク復興への積極的協力か、米英連合軍の対イラク戦争の後産協力かという点でまず議論が分かれている。さらに、誰の判断を問題にしているかに関しても、日本自身の意識、イラク国民の認識、国際社会の印象など、いくつかに別れる。
  2. 正統性:イラク戦争国際法的正統性の観点から考えようということ。抽象的スジ論。手続きに難あり(国連の指示が弱い)、理由付けに難あり(ウサマ・ビン・ラディンが9.11事件の仕掛け人であったとしても、それとサダム・フセイン政権への戦争との牽連性はさすがに無理がある)、理由の如何を問わず「テロとの戦争」の正統性に難あり(国と社会は乖離する以上、国際テロと国家の戦闘は十字軍から満州馬賊まで歴史的に数多いが、国際テロに遭遇した場合、通常は当該テロ主体の所管国家に対して取締を要求することのみで、仮に当該国家がテロを擁護した場合はその国家と戦争すればいい)といろいろ論拠はあるが、まぁこの点については分が悪い。米国はテヘラン人質救出事件等こうした方面では国際法業界の「悪の枢軸」なので、今更の感はあるが。
  3. 国益性:戦争に参加することでどのような具体的利益があるかで考えようということ。自称「現実論」。米国との連携重視(米国が国際法的正統性で苦しい今こそ積極的に助け、米国との絆を強めようという考え。国際世界における米国の主導性がどれほど保つかとか、田原総一郎は「属国ではないか」といったり、いろいろなツッコミ方がある)、利権重視(今回の行動で米国のサブライセンス的にエネルギー利権などがとれると主張する。最初は米国からの分配としても、将来的には米国を中抜きすることも念頭に置いている点で、米国との連携重視とは違う)、国際民主主義重視(仏露中が明確に反対するなど、米英以外は積極的干与に出なかったことから、賛成・反対の国の頭数をイメージして国際世論はイラク戦争不支持と見て、イラク戦争を否定する)と、これが一番議論が分かれるが、どちらかといえば参加に傾くか?
  4. 国内感情:派遣される自衛官の安全性に議論を集中させるもの。わかりやすいが、じゃあ安全ならどんな派遣でもいいのか?、どんな派遣でも危険ならしないのか?という実にわかりやすいツッコミがある。ちなみに、テロや紛争で死ぬ確率よりも東京で交通事故に会う確率の方が普通は高いです。

 さて、以上を総合すると、僕は「とにかく現時点では行くべき。ただし、派遣地域はできるだけ安全なところを選ぶ(実際の安全性は問わない)。同時に、将来これが遺恨にならぬよう、民間部門が積極的に物資協力、ボランティア医療協力、なんでもいいから生活復興に直接手を貸して、『日本政府と日本国民は分裂している』ことを示しておく。また、日本政府は、米国依存しなくてよい別の選択肢を将来のために検討し、連携の多元化、特に近隣諸国との直接的連携を開始するべきである。」というのが結論になる。二枚舌の卑怯な考えと言うならどうぞご自由に。まともな長距離戦争能力も、外交オプションも、戦略的に使える経済カードさえない日本に必要なのは、なにより狡猾さではないか。