PowerMacG5をDellと入れ替えて怒号爆発の件

 長年住み慣れた経済産業省を離れ、角川HDに移籍。東京国際映画祭事務局に移って、ほいで仕事としてベルリンを訪れている。映画祭なのだ。

 閑話休題。PMG5をDellと入れ替えたアンディ君がMacファンからの怒号のメール爆撃を受けたそうだ。umm…。私はMac屋ながら、このユーモアは好きなんだけどなぁ。
 この記事の関心中心は、アンディ君のユーモアセンスというのではなくて、Macコミュニティがいかに感情的共同体になっているかという点にある。Yahoo!やWIREDの記事とかには、Macコミュニティは宗教的だとか、U.エーコ先生まで「Macカソリックで、Winはプロテスタント」だとか言った話が引かれている。
 人間が愛着を感じるメカニズムからすれば、Macによらず、「他とそれは違うと主張する商品」総ては愛着の対象になりうるのだと思う。より正しく言えば、互いにその存在を認知している少数派の人間集団は、それを作り出すwe-feelingのハブにある存在を中心にして強固な共同体を形成する、ということだろう。それは共同体論的*1には明かで、いまさら言うほどのことでもないかな?と。今から20年前、まだコンピュータを使う人たちが社会的に少数派だった頃、コンピュータ使いは全体でこういう状態にあったわけです*2。私は、Mac使いとWin使いの最近の関係は、シーア派とスンニー諸派の関係に近いと思うんだが、どうだろう?
 それとも、そんな風にいえるのは、私がApple][j-plus以来のApple使い*3であって、けしてMacマンせーではないからだろうか?

 ただ一つ言いたいことは…
 アンディ君は、PMG5貰ったならそれを早いこと中古屋に売り飛ばし、その金でバリチューンのWintel新品を購入した方が頭がよかったと思うぞ、ということだ。最近はWintel用でも結構デザインのよい筐体も売っているし、何も敢えてPMG5の筐体を使うことでお金をどぶに捨てなくてもよかったろうに…。

*1:社会心理学とか社会学の分野でしょうかね?古くは14cのイブン・ハルドゥーンとかがいますし、最近ではR.M.マッキーバーとかがいて米国でよく議論されてるみたいです

*2:「コンピュータに使わせて貰っている人々」(メーカーが想定する使い方の内側で使っている人々。言い換えれば、単に操作しているだけの人々)と「コンピュータを使う人々」(その気になれば、OSの入れ替え、ハードウェアの追加など、メーカーの全く想定していない使い方を自己責任でやる人々)が分裂する以前は、後者しかいなかったので、bit悪魔の辞典とかの話で皆が盛り上がれた。その時代へのサヨナラはすでに80年代前半に「真のプログラマPascalを使わない」(Real Progreammer Don't Write Pascal)で叙情的に語られていた。もっとも、まさか何もプログラム言語を使えず何も書けない人が、「コンピュータ使い」としてこれほど跋扈するとは、かの文章の謎の筆者も思ってなかったろうけどね

*3:白状すると、89年からの一年は、お金がなくてMac買えなかったせいでCommodoreのAmigaに浮気してましたが