勝ち組年収バブルという怖い話

 昨日、古い友人と食事をしていると、「年収1千万以上は勝ち組」という。なぜ?なぜ?と問えば、意外な答え。「転職の際には前職の年収+αになる。年収は落ちることがない」。あれ?それでも、???。たしかに転職のメカニズムはそうさ。だけど、ハントする相手がそれに見合った人物でなければ、そもそも転職が発生しないはずだ。友人氏は続ける「いや、年収1千万以上には転職の話がくる。年収1千万以上貰っているほどの人だから」。
 来た来た、ここが問題だ。
 「年収1千万」というのは、その人の1年前のその会社の期待値だ。次に支払う「年収1千万+α」は現時点でのハントする会社の期待値だ。全部期待値だ。しかも、公開市場ではないから、特定の判断主体に付属する期待値だ。客観的な結果ではない。そんな他人の期待値を客観的な結果と同視するというメカニズム。
 このメカニズムはバブル経済の時によく見られたことで、後に不良債権問題と呼ばれるものを生み出した無責任な信用膨張、或いは隠れたインフレの源だ。これは機械的な株担保融資など、実体判断を回避する態度、又は形式判断或いは定型手続に多くを任せすぎたシステムのせいだとかつて言われた。またその原因は担当者の自己責任回避のためとも言われた。おなじ構図がここにある。
 だとすると、あのバブルへの反省はまだされていないのだな?うーむ、暗澹たる気持ちになるぞ。
 組織の再生産プロセスの根幹にある採用制度。そんな組織として絶対に機械的判断にできないものを過度に機械化したとき、またそこにバブルの芽がある。全ての未来への行為は投機的であるのに。だから確実なことなど何もないのに。過度な確実性を求める声に推され、確実性を欲するあまり不確実な他人の期待値をあたかも確実性の論拠たるかのように取り扱う時、そこにバブルが待ち受ける。失敗しないことを求めるがゆえに失敗するという皮肉。
 勝ち組と言われる人々よ、準備せよ。その年収がバブルであるなら、蓄えるもよし、より実力をつけるもよし、今のうちから低収入に耐える生活習慣をつけるもよし、いずれにしてもバブルが去っていくその時のために備えよ。