誉めるということ

 大阪に行って、iMedioさんのBroadStarの表彰式に出てきた。役人時代から審査員をしていて、これで2度目。今回私が表彰状を渡したゲーム・GOKI DASHは本当にしっかり作ってあって、そこを評価した。もう20年近く昔にはプログラマ/ゲームデザイナーだった*1身としては、こういうキッチリした作品には思わず頭が下がる。
 それはそうと、楽屋裏で、iToonの伊藤さんと話をしている際、私が前回の表彰式の際に誉めよう、誉めようと言っていたことが印象に残っていると言って頂いた。そう言ってもらえて、嬉しかった。実は、大阪で会った古い友人(彼は今、教育関係の仕事についている)とも、同じように誉めることは大事だなぁと言い合っていた。伊藤さんの言葉は強く心に刻まれた。
 教育の場では誉めることの重要性が指摘されているが、世の中は人の集まりで、人は人の言葉に左右されるので、誉めることが大事だというのは私は人間社会一般に言えることだと思う。嫌なことに出会ったとき、本当に重要なことはそれを改善したり、それが再発しないようになることではないか。そのためには、その人に事態の改善を促すようなメッセージの出し方が重要になる。一方的な非難、とりわけ悪口の言い逃げのようなやり方は、自分が溜飲を下げるという一時的な効果以上のものはない。ついつい憤りが噴出して一方的な批判になってしまうのは、その人が問題となっている何か(何でもいいんだ。音楽でも、子供達でも)をとても大事に思っているからだろう。だが、相手が意固地になろうものなら、そのいい方は却って弊害の方が大きいといえないだろうか。
 私は、全くの意地悪=誰かを害すること自体が目的という人は世の中にはそうそうおらんと思っている。よって、仮にその結論において全く我慢ならないとしても、そこに至る道程や認識のあり方について議論をすれば足りるし、むしろ目的意識の中には誉めてしかるべきな部分もあるとすれば、それは誉めるべきだと思う。
 もう何年も前、西川りゅうじん氏が「不況、不況というから不況になる」と言っていたのを思い出す。経済学的に、この意見はとても正しい。不満をぶつけ合って互いに不機嫌になる負のスパイラルは誰にとってもよいことはない。こんなことを長々書くと、「アホか!そんなのは当たり前だ」と言われそうだ。だが、せっかくスパイラルの反転が見えるこの時期にこそ、この誉めることの効用をもう一度考えてみたくなった。当たり前のことができないでチャンスを逃がすことはとてもよくあることだから。


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*1:ゴジラ1985のゲームデザインとかしてたんだよね。その収入で台湾に行って海賊版オタクになったことが、後に経済産業省コンテンツ産業担当になる遠因になったのはウソのような本当の話だ。