経済に期待しなくなったら日本はどこへいくのだろう

 好景気、なのです。実際、たぶん、かなり足腰の強い好景気だと思っています。でも、これは今までとは違う好景気になるのでは…と思っているのです。
 それは、この好景気が一部の人のための好景気にならざるを得ないからです。先後、バブルに至るいくつかの好景気とはその点で大きく異なるだろうからです。経済の神様と平等の神様は元々あまり中がよいものではない*1のですが、ついに離婚しそうな勢いです。
 私は経済の神様の調整能力により期待する方なので、これを「進歩」と敢えて呼びたいと思います。でも、だからといって旧タイプの好景気が「間違い」だと言う気はないです。最善の手というのはTPOによって変わるものですから、旧タイプの好景気が成功を収め、先進国になったからこそ、今はこの形の好景気が自然な流れなわけですね*2
 「時代」はその時の共同体の不満を解消してくれる魔術的事象を求める性質があります。これまで日本と日本人のバラ色の未来を約束してきた先進国化、その具体的あり方としての好景気は、先後日本にとっての魔術的事象でありました。が、これで、それが今後の日本と日本人のどちらにも魔術的効果を発揮するわけではないことがわかってしまう。ひょっとしたら、これからの日本人は好景気や経済的発展を以前ほど求めなくなるかもしれません。
 経済に期待しなくなったら、これからの日本人はどんな魔術的事象を求めるのでしょうか?時代のモーメントは政治に移行するでしょうか?ある共同体内部でフラストレーションがたまる時、共同体の縁取りをはっきりさせて、他者に対する競争心、敵愾心を煽るのはあまりに陳腐でオーソドックスなやり口です*3。しかし、共同体はすでに開かれてしまっている。日本人だけの日本や、世界と連携していない日本など、もはや幻想以外のなにものでもない。徒な仮想敵との仮想戦闘は弊害の方が大きいかなとも思います。
 山形浩生さんが「『おたく立国』ってマジ?」と言っておられますが、最近の日本大衆文化ブームの中で私が注目しているのは、それが結構マイルドな自己肯定的要素を持っていることです。その限りにおいて、「おたく立国」でもいいじゃないの、と思ったりします。少なくとも、「米国の国際金融陰謀説」や「中国の日本侵攻説」を頭の体操以上のレベルで語り、and/or「今こそ日本は立ち上がるべきだ」とか言って外国に派兵したり国内で外国人排斥運動をやるよりは遙かにましではないでしょうか*4
 時代の流れが反転する今、次の日本の動向が、それがより日本人以外の人々にもプラスの貢献をするようなものとなるよう、自分は自分の場所で頑張っていきたいと思うのです。


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*1:経済はダイナミズムを求めるので差異を好むのです。理想郷の中にある平等という概念がダイナミズムと矛盾するという主張は、経済学の本を読むより、「百億の昼と千億の夜」(光瀬龍著。ただし、私は萩尾望都画のマンガの方をお薦めしますが)、「イティハーサ」(水樹和佳作画)などの方がはっきりと書いていますね

*2:クレヨンしんちゃん〜オトナ帝国の逆襲」を見ていて痛感したのですが、誰もみな、少なくともその人の心の中では、一所懸命生きている、最前のことをしている。だから、若者の「旧世代」に対する非難のような批判、その上に立つ変革の提案は、彼らには理解してもらいえない。むしろ、批判する側の正統性を問題にされたら、単なる言い合いにしかならないかもしれない。私は思うのですが、その人達が最善の手をとってきたというのと、それが今も最善の方法であるというのは違うことですよね。だから、時が流れて、成功したからこそ次の正しさがやってきたと言うのが、より効果的ないい方ではないでしょうか?

*3:伝統的に大国ではこういうことが起きやすいようです。アメリカしかり、中国しかり。こういう目で見ると、「日本国大統領・桜坂万太郎」(コミックバンチ連載中)は、あからさまに「中国=悪、米国=善」という設定をして日本の奮起=中国への反撃を煽る、とても興味深いドラマになっています。米国がフロイトラカン的な意味での「超自我」として描かれているのがとても面白い。作者はバブル世代以前で、米国の周辺にいる人ではないか…と思ったら、日高義樹さんの監修やん!。そうだったのか。このドラマが意図されたメッセージなのか違うのか、それは私にはわかりませんが。

*4:この具体例は結構妄想入ってますので、笑い飛ばしてくださいね。