歴史の書かれ方

 昨日、テレビでタイ大使の岡崎さんと小林よしのりの対談を見ていた。小林氏はさておき、いやぁツッコミどころ満載の香ばしい方ですねー、岡崎さんは。特に印象に残っていたのは、田原総一郎親米派ですよねと突っ込まれたときの「日本は歴史的にアングロサクソンと組んでいた時が安定するんです」という説明と、その時の岡崎さんの目がいってしまっていたことだ。まずはなにより、あのように個人的認識直結型の結論をボンボンと落としてくる議論をする上司にであったら、私は嫌だ。議論可能性がないものね。
 それはさておき、岡崎氏の論拠を見て、私は首をひねらざるをえなかった。というのも、日本は有史以来国際社会の中にずっといたからだ。ペリーが来る前からいた。日宋貿易の前からもいた。遣唐使の前からもいた。アングロサクソン接触したわずか150年ほどまえからの歴史を、あたかも世界史の一般法則のように認識することに疑問を持たないのだろうか?日本にとっての「近代」という断絶、あるいは「明治維新」という断絶は、断絶にしようとして断絶になったのであったが、実はその前後でも歴史は継続しているし、そのことは我々のずっと前の祖父さん、祖母さんが知っている。
 その「近代」の故郷となった西欧。ローマ以来の伝統を守った西欧社会はルネッサンスで復活し、15世紀の大航海時代に断絶があり、18世紀には産業革命で西欧は世界の頂点に立ち、世界が「近代」化されたという伝説はどうして生まれたのだろう?ギリシア、ローマの人々と西欧人の間には直接の血縁関係もないのに*1ギリシア、ローマの文物の多くがイスラム化された東方で保存、研究され、西欧には逆輸入されたのに*2。15世紀にも最も長距離の航海を実現したのは中国人だったのに*3。19世紀にも一人あたりGDPは中国と西欧は等しいか、中国の方が上だったのに*4
 日本で「哲学」を語る本のほとんどが西欧の哲学者の言説の解説書になっている。ギリシア、ローマの「哲学」と、「近代西欧」の「哲学」を結びつけることに頓着がないのはどうしてなのだろう?どうしてそこに、イブン・シーナーやガッザーリーの影響を見ることはできないのだろう?どうしてイスラーム史は西欧史の説明の中であぁまで無視されるか、単に外部の話としてそっけなく記述されるだけなのだろう?
 私の仮説は、西欧は「自分にとってこうあって欲しい歴史」を自分語りしているというものだ*5。単に、偉大なる古典文明から連綿と続く文明圏というフィクションを作りたかっただけだ*6。無知を自覚した日本人は、彼らに「ほら、こうなんだよ」といわれて素直に信じ込んでしまった純朴な少年のようなものだ。まぁその純朴な少年も、成長すると、自分の間違いに気が付いても間違いを認められず、気づいてもうそぶくだけの、食えない大人になるのだが。
 私たちは、もう少し「歴史の書かれ方」に注意してよい。少なくとも、彼らではない我々は、彼らの歴史記述の背後にある深層心理を計算に入れ、そのバイアスを最小化するように修正しながら歴史を読むべきだと思う。米国についていくことの説明をする時に、彼らの自分語りに引きずられるようでは、あまりにもお粗末だ。


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*1:今の西欧人の多くはそこに移住した蛮族の子孫ですね

*2:バグダードやカイロでの大翻訳運動からイスラーム哲学の隆盛、ガッザーリーによる断絶と、アンダルスでの西欧への大翻訳運動、それらは否定されるものではないと思うのだが。ラテン・アヴェロエス主義とかいろいろな話もあるし

*3:鄭和のことですね

*4:これはフランクの説

*5:この部分は、別に西欧に限ったことではない。日本史も、中国史も、だいたいがそんなところだ。自己肯定欲。自己否定からの逃避。よく考えたら、人間の自意識なんてそんなもんですよね。と、ラカンとかジジェクを読むと思ってしまう

*6:それが同じ西方世界の対立者であるオリエント=イスラームとの対抗意識によるものかどうか、私は知らない。