転換を進める時期が来た

 経済という思想は、何よりも自由を目指す考えのように思われる。
 貨幣という力の表象を導入するだけで、支配と抵抗というゲームが相対化される。産業組織の外系では、商品経済が支配そのものに根源的制限を設定する*1。産業組織の内系では、資本拡大性向が経営効率向上への要求となって所有と経営の分離という原則を生む。こうして、顧客としても、労働者としても、持たざる人は持てる者への全面的従属から逃れるチャンスを手にする。
 経済というゲームの巧妙さは、本来は他者への無条件絶対の支配を欲求する「所有」の効果に自然な限界を設定することで、「所有欲」を奴隷制を生み出す悪魔的契機から、社会を発展させていく原動力に解脱させていくことにある。だから、産業組織の内系に関しては所有と経営の分離が、外系では独占禁止政策、或いは競争促進政策が資本主義経済社会の基本原則となる。経済という思想の本質は、所有の機能制限にあり、それは自由の伸長となる。
 そして経済という考え方は、私的経済を最大化する自由市場主義を進めるためには、逆説的だが、所有の効果に対する一般的制限の設定が必要であると主張する。金融業についても、企業経営についても、知的財産権についてもそれは同様である。持てる者の主体的満足ではなく、社会の資源の結びつきの効率化をこそ何よりも目指す経済思想の本性が、それを要求するのである。

 転換の時は来た。保有から使用へと、力点が転換する時がやってきたのではないだろうか。所有から経営へのモーメントの転換の烽火である。

 私は、この年末をもって東京国際映画祭事務局長の職を離れ、新年より経済産業省情報政策課課長補佐へ帰任することになった。これまでも私は公の仕事をしてきたが、これからも私的経済体の活動を最高率に活性化させるために私的独占に対する抑制となるという公の責務*2を十分自覚して、IT政策*3に携わっていく。転換を、進めよう。




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*1:供給を需要が選択するという構造の中で、支配対象は顧客という奉仕対象にもなってしまうからである

*2:資本主義経済における公というものの機能は、純粋私的経済を補完することにある。それが政府、行政であれ、東京国際映画祭であれ、そこには公、すなわち少なくとも私的経済体とは違う機能が求められる。だから、それ自体は、少なくとも他者への支配を、他者の所有を、その目的としてはならない。

*3:部分的にはコンテンツ政策もここに含まれる。