上戸彩が悪いのか、お客が悪いのか、それとも…
古巣に帰って約一月、リハビリもそろそろ終わりかなぁという今日この頃。
何だかまとまったことを書きたくなったので、<分節している世界>というお題で連載をしようと思う。
で、連載ですからね、まずは上戸彩の話題から*1(いきなり、なんだかなぁ)。
その上戸彩が出てくる最近のCMで、サッカーの試合を録画して帰宅後に見ようと思っていたウェイトレス=上戸彩がお客の会話でその結果を聞かされてキレるというのがあった*2。今日のお題は、あの客のことを私たちはどう考えればよいのだろうということだ。
あの客は、ウェイトレスの側に立てば罪人かもしれないし、まぁそこまで言わないにしても無粋な人であることは間違いないだろう。CM見て笑っている僕に言わせれば、無神経な男ではある*3。しかし、客本人にしてみれば、俺の勝手だ、ってところだ。どちらも正しいことがかみ合わないというのは悲喜劇の基本パターンである。
この悲喜劇は、二つの世界の交差から起きている。
知っている人の世界(お客の世界)と、知らない人の世界(ウェイトレス…ってこの場合は一人だけ*4だが)との交差が、共有されている現実=お店の空間で起きてしまったわけだ。もしこの交差がなければ、お客は首を絞められることもないし、上戸彩も帰宅後の楽しみを奪われることもない。
実は、こういうことは数多い。上戸彩がお客の首を絞めたのは、上戸彩が悪いのか、お客の自業自得なのか?いやいや、ひょっとしたらあそこで上戸彩にあのお客を付けたマスターが悪いのか?そもそも、どうにかして上戸彩がお客の首を絞めないですむような方法はないのか?
そんなことをしばらく考えてみたいのである。
それにしても、仮面ライダー剣が終わった。オンドゥル語祭りに始まり、中盤のへたれ橘で萎え、虎姐さんやトライアルシリーズ辺りから異様に盛り上がり始め*5、そして最終回で神になった…というとんでもないシリーズだった。
剣、特にそのラストについては賛否両論あるだろうが、僕はとても好きである*6。しかし、最後にああいう形で石ノ森ライダー像に結びつけたのは力業だと思うが、だったら最初の「職業としてのライダー」って設定は全く無駄だったんじゃないかって思うんだよね。無駄ではないとすると、「始めはただ職業だと思っていたんです。そのうち本気になって…」的なストーリーになるのだが、まさかそれが戦後サラリーマン社会の隠喩になっている…なんてことはないですよねぇ?東映さん…*7。
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*1:上戸彩と言えば、映画やテレビはともかく、CMでは役を選ばぬ真面目な仕事ぶりが僕のお気に入りである
*2:上戸彩主演、富士フイルム製DVDのCM「キレイ撮りの女」編
*3:「あわあわ」言っているの見ればわかるだろって
*4:集合は元が一つでも成立する
*5:というか、後半主題歌であった「ELEMENTS」がお気に入りだったのである。スクエニの田口さんとカラオケで絶叫しあったほどに。もちろん、その後は二人でプリキュアを歌ったんだが
*6:ただ一つ不満なのは、剣崎が走り去った轍を撮すだけでなく、走り去る剣崎を画面に置きながらそれをバックに「ELEMENTS」を流して、あの選択をしてアンデッドになった剣崎をヒーローとして描いて欲しかったということだ
*7:東映という会社は、いや、東映という会社の人は、映画をこよなく愛している人として嫌いではありません。ただ、愛故に、ニッポンマンセー、映画マンセーとか言い出したり、それどころか「北京原人」や「走れ!イチロー」なんかをつくっちゃうこともある会社だということも忘れてはならないでしょう