メディアの責務〜だからといってそう来るか?

 脱線が続く(いつ本筋に戻るんだろう?もう戻れないのかなぁ?)
 別に何ができるわけでもないんだけど、ホリエもんとCXのやり合いはいくつかのとても重要なテーマを浮かび上がらせてくれるので、目が離せない。
 まず一つは株式公開の意味。一言で言ってしまえば、崔洋一監督がサンジャポで指摘したように、「自らを商品としている」ということだし、もう少し理屈っぽく言えば、世間の資源を調達する代わりにそれを提供した人に対して奉仕するというあり方を宣言しているのだといってもいい。会社の評価は、会社としての主体的自己評価ではもちろんなく、視聴率に加えて株価ももう一つの指標として重要になる。もしそれが嫌なら、少なくとも株式を上場しない*1という方法もあるので念のため。
 株式市場がどれほど完全かという点を留保すれば、ある政治家に孫正義氏が語ったと言われる「あなたは4年に一度の選挙に勝てばよいが、私は毎日株式市場という選挙を戦っている」という台詞は傾聴に値するのではないか。これは資本主義と民主主義が何故反目しつつ*2も離婚しないかということと結びついているように思う。普通の勤め人なら少なくとも婚約指輪*3より安いだろうCXの株主になることはできるんで、株式市場の方が民主的だという指摘はけっこう説得的だと思ってしまう。
 もう一つは、突如登場した「メディアの役割」というやつだ。「メディア」だから買収されない、少なくとも外資には買収されないという主張をどう考えるべきだろうか?実は、ことIPと放送の融合論になるとこの話は少し論拠に乏しいと考えている。というのも、同じ「メディア」でも新聞や出版には、いやいや映画にだって何らの規制もかかってはいない。「メディア」間の取扱の公平性を考えると、放送に参入規制*4外資規制*5、自主倫理体制規制*6が入っていたりするのは、それが希少な電波を割り当てられたという一点に帰着すると言わざるを得ない。そうすると、観念的には無限帯域である*7IP・放送融合型の場合、そうした規制は必要ないという議論に帰着する。
 整合性を敢えて付けるなら、全て無規制にするか、全て規制を付けるかである。実は有線放送法あたりから特権のバーターとしての規制という考え方は緩やかになってきており、自主倫理体制規制は「公衆に対して情報を発信する」ことに対する責務であるとされる。すると全て規制と全て無規制の中間に、大規模な事業者だけ規制、という考え方が見える。そして規制の中身は、そもそも表現の自由の議論に配慮すると、自主倫理体制の構築を義務づけるくらいのことであろう。というわけで、私は大規模事業者のみ*8の自主倫理体制の構築義務という考え方に賛同する。
 メディアの役割を自問自答しながら、不偏不党の報道を目指しているテレビ報道マンの諸兄には、心の底から尊敬の念を表したい。しかし、彼らのそのことをもって、会社自体の買収を社会的に禁止すべきだということはできない。なぜなら、新聞記者だろうが雑誌記者だろうが、同じように気高い報道をする人々は他にもたくさんいるからだ。特別なことではない。他の人々が放送を担う機会、可能性を否定する根拠にはなるまい。外資規制にしても、必ず外資に主導権を握られない報道機関があれば事足りるわけで、必ずしもメディア事業への包括的出資規制でなければならないという理由はあるまい。それどころか、メディアマンとしての心意気が暴走し、社員が株主を選ぶことが正統だとでもゆうようなやり方を採ることの方が問題が大きい。上場企業として適切な態度で市場と世の中に対峙するべきである。
 それでもなお成果を上げる力が諸兄にはあると信じている。


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*1:或いは上場するが社員で株を買い占めてしまうという方法もある。

*2:資本主義は自由主義を基本思想としている。自由主義は、競争条件の平等を求めて結果の平等を求めないがゆえに、全員参加の民主主義とはやや矛盾することになる。民主主義が暴走すると、各主体の経営を民主的に統御する、つまり大きな政府による産業コントロール社会主義的経済運営へと傾斜することになる。

*3:給料の三ヶ月分が目安だとすると、1株30万円ほどなので、まあだいたい買えそうだ。

*4:事業許可制、(無線放送の場合は)電波割当などによって、そもそも事業をすること自体に法的規制がかかっていること。コンテンツ産業の場合は、民間団体を使った民民規制がある場合も多い。

*5:外国人(法人を含む)が一定割合以上の株式を保有してはならないという規制。

*6:ワーディングは固まったものがあるわけではない。放送系の事業法にある、倫理規定の作成や番組審査組織の規定などを指す。有り体に言えば、中身がどうあれこうあれと国は言わないが、自信をもって発信できるための自己統制の仕組みをつくれよということと、万が一世の中から問題にされたら自浄できるようにという意味もある。

*7:従って有限な資源の配分を受けているわけではないことになる

*8:本来のイメージは、メディア種無差別に規模にのみ着目するというものだが、例えば地上波放送のように明らかに大規模であるべきものがあれば、「みなし大規模事業者」として特定のメディアが無条件にこの規制に服するという構成もありえよう。