アナロジーの乱舞

 人間の思考法なんてそうそうバリエーションがある訳じゃない。モノゴトの「本質」というのは、おそらく意味文節の網の目の中でその言葉=物事が占める位置である。とすれば、どんな新しいモノゴトもそれまでその人が得てきた「意味空間」の中の他の物事との対比によって理解される。だからモノゴトの理解の裏には、他のモノゴトとの対比があり、アナロジーが多用される。
 おまけに、そうして与えられる「本質」はその人が生きてくる中で得てきた体験に基づく*1ので、対比対象は案外同時代の人間に共有される*2。だからアナロジーが一つの現象として現れることがある。
 ということをふまえて、今日の話題は芸能証券


 いや、面白い。経済産業省に入った理由は、「経済は時代の『宗教』*3だ」と思ったからなのだが、そういう意味では経済的事物のアナロジーが芸能ネタにもろに適用されているのが面白い。
 ただ、テレ朝の市川寛子アナが銘柄に入っていないのはいかがかと思う。芸能証券がこれを取り上げてくれないのであれば、GASDAQでも作らなあかんのやろか?


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*1:ここでいう体験とは、本を読んだり、話をしたりといった事柄を含む。だからこの意味の背景は再帰的なのだ。

*2:裏返せば、「本質」なんて時代の思いこみに依存している程度のものだともいえるんだけど。

*3:僕の定義では、モノゴトの総じた説明をするときに依拠する価値観。それ自体は証明不可能であり、公理系をなす。つまり、「信じられている」。