日々是雑感

 自分でも実感はないのだが、息子が生まれた。
 人は、衣食足りて礼節を知る。これは衣食足りる=動物的自己保存が可能な資源確保が終わると、礼節=社会的自己実現の段階に入るということを意味する。欲求のあり方も同じだろう。ホームレスをしても生きていける段階を実現してしまったこの社会にあって、社会的自己実現に世の人々の生き方の軸足は移っている。すべての「競争」は、今や命を長らえるためのものではない。それはとんでもない自己疎外なのだが、人間とはそういうものであろう。職業もそういうものであろう。
 息子の手本になるような仕事、生き方とは何かを真剣に考える時が来ている。
 

話題、1。台北エレクトリックショーが始まっている。いろいろ技術的な話はあるのだが、それはそれとして、やはり注目すべきはコンパニオンガールの隆盛だろう。アジアの雁行形態的産業発展モデルにおいて、日本は欧米的社会要素のアジアへの翻訳者役を果たし、それゆえ、日本の近現代の社会事象の多くが欧米に由来し、そして他のアジアの工業先進国に継受される*1。異文化の吸収にはストレスがあるが、同系文化の翻訳という成果を使って間接吸収することは、このストレスを減じる効果がある*2。これは僕の歴史観の基本なのだが、その証左の一つがここにある。っていう「ここ」が結局パニオンなのが、なんとも僕らしい。



話題、2。悪質なネット広告業者締め出しのために、都が経済産業省と連携して動いた 。ネット社会といえども人の世であれば「ルール」からは自由でなく、国は「法」によってこれを定立する権利がある。ただ、もちろんそれに伴う政治的責任も負うのであって、批判にさらされることを忌避するわけにはいかない。使われない法を作って自縄自縛にはまる*3よりも、使って正々堂々その制度ごと批判にさらされるべきだ、と僕は思う。




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*1:もちろん、日本発というのもあるのだが。

*2:80年代の台北で、欧米系ファッション誌ではなく、non-noを買っていたのは、non-noの方が自分たちの肌とか背格好に合うファッションを載せていたからだとといっていた(現地での聞き取り)。西欧はギリシア哲学を受容するにあたってトマス・アクィナスらの成果を使ったのであって、直接当時の哲学研究の大家であったアヴィケンナ(イブン・シーナー)やアルガゼル(ガッザーリー)にあたらなかったというのも同様であろう。

*3:役人は批判に晒されるのを本能的に嫌うため、社会的批判を受けやすい事柄、例えば土地収用法なんかはあってもなかなか使われない。本当なら土地収用法を使って計画執行の効率化をするべきなのに、それは放されて時間だけ徒過し、やがてその計画は時代遅れになり、政策効果はあがらなくなる。じゃあ新しい手法をつくろうと思っても、「こういう制度があるのになぜ別の制度を作るのだ」ってな話になる。