日々是雑感。
暑いー。おまけに、腰壊したぁ。涙目になりながら、ちょっと今日は暴走しがちなコメント。あ、予め申し上げますが、ここに書いてあることは僕の個人的意見であり、僕の属する組織とはなんら関係がありませんので念のため。
話題、1。「ゆきゆきて、神軍」の主人公、奥崎謙三さんが死去した。僕は政治には意図的に距離を置きたいので敢えて何かを語ろうとは思わないが、戦争に関与した人達の個人責任を免罪して去って行くにはA級戦犯の方々はあまりに小粒であった、と中国や韓国の人々の目には映るのだろう。それで十分だという整理をしてきた人と、そういう整理をしてこなかった人と。間に入って二枚舌の、或いはもう少しマイルドに玉虫色の決着をはかってきた人達を非難するのはたやすいが、それは現状の解決にはなるまい。ただ一言添えたいのは、十分だという整理も、十分ではないという整理も、それぞれの国情に合わせて国内政治的になされたのだ。国は違えど、自己肯定欲にとらわれた、同じ浮世の所為なのだ。奥崎さんは、それを欺瞞だ、と喝破して歩いたのだろう。彼自身の体験の重さ故に。
齢40に満たない僕たちは直接の戦争体験がなく、その世の中に教えられたくちである。それは島に登る人も、大使館に投石する人も同じだ。体験者ではない、ということは「これこれが正しい」などと軽々しく口にできる立場にはないということだ。だったら薄弱な面子論*1より、今日、明日のメシのことを考えよう。
話題、2。東芝とMSの提携が発表された。MSの事実上の市場独占は常々様々な議論に晒されるが、まず確認しておくべきことは、市場独占はそれに相応しい責務を与えられるべきだということだ。ただし、その責務の態様、また責務の規定され方というのはいろいろなバリエーションがあってしかるべきだろう。例えば製品の品質において*2。例えば価格の水準において*3。それが小売でない場合には、ライセンス料の水準と言っても良い。それは法=民主主義の次元から伸びてくる経済=自由主義への侵略であり、財産権の侵害だという向きもあろう。しかし、それは自由市場経済主義が自由競争による独占=競争の死滅という自殺を招いた場合に対して設けられた「安全装置」なのであろう。
そう考えると、日本の独占禁止法は独占状態そのものに対する介入をきちんと行うべきではないのか。その規定はすでに死文化し*4、削除すら検討されていると伝聞するが、それでよいのか?まぁ、その場合、東芝とMSの提携についてはどう判断するのかな?MS=独占、東芝=いろいろあるメーカーの中の一社、として、MSにライセンス料制限を課すのかな?それとも、MSにファイル構造開示命令*5を出すのかな?
いずれにしても、東芝ってプライドない*6な(藁
話題、3。総務省がインターネット上の情報の有害判定を行う第三者機関を設立する意向だと報道は伝える。これに対してネットジャーナリズムの中には、そんな基準をお上に与えていいのか、と指摘する。どちらもよくわかる反応ではあるのだが、後で指摘するようにこの問題はとても大切なことに将来なってくるので、個人の良心として、ここでまとめておきたい。
まず、現行制度を整理しておこう。コンテンツ内容規制は、国がガイドラインを示して自主規制を義務化するもの(第一類型。放送系)、国は何ら規定しないが業界として倫理規定を設定しているもの(第二類型。放送以外の大多数のコンテンツ提供事業。この場合、倫理規定そのものは本来意味を持たないが、小売事業者がこの倫理規定に基づくレーティングを遵守することで、事実上の強制力を持つ)、そして法律直接処罰(第三類型)という三つがある。その重なり具合だが、やや当たり前だが、第二類型と第三類型は重畳できるというのが司法判断である*7。
これを考えると、ある特定事業者によって作り出された情報空間の中には、その事業者の自主的判断として、情報自主規制をする余地がある、ということにはまずありそうだ。その上で、第一類型は、やや国による差配の余地が大きい「放送」らしく国が少し出っ張っている、ということだろうか。
さて、インターネットに関して考えてみると、まず、インターネットがISPなり、何か特定のサービス主体の責任範囲にはまる情報空間なのか、という点がとても重要だと思う。答えは「否」なんだけど。そうすると、インターネットは様々な事業者の関与はあるにせよ、普通の物理空間と似たようなものとして考えておくのがわかりやすいのだろう。要は、個人のHPは、そこら辺に張ってあるビラと同じだと考えるのだ。そう考えると、ISP=コピー機設置会社にそれで作るビラの内容まで規制しろというのはかなり筋違いだと思う。また、とにかく自治体は橋桁の下までビラを剥がしてまわれよ、というわけにもいくまい。結局、インターネット上の情報そのものは第三類型での対処となり、ただその上で特別な事業によって管理された情報部分空間を作り得ている場合のみ、例えば情報家電や携帯電話による情報提供事業(或いはその代行業)といった第二類型(或いは場合によっては第一類型)の制度がありうるというにとどまるだろう。
こういう例はすでにあって、i-modeや、T-naviは、自身がプラットフォーマーとして提供している情報については内容も勘案して「公式サイト」にしている*8。
ま、だからきちんとした情報空間を作ろうというなら、インターネット空間全体をキレイにするといった神経過敏なことをいわず、情報家電的アプローチでキレイな閉鎖空間を作るほうが理にかないますよ、といいたいわけだ。キレイなことが常に高付加価値なわけでもない*9し、ね。
さて、こだわって書いた理由は、インターネットの情報内容をどうキレイにするかという話は統一メディア規制に繋がっているからだ。といいつつ、ここで「規制」なんてあることに脊髄反射的にかみつかないでほしい。
放送法体系は、すでに電波などの「希少資源の利用に伴う責任」というを離れ、「多数に直接情報を伝える者の責任」に軸足が移っている*10。したがって、放送法体系の内容規制とインターネットの情報配信者の責任をイコールにすると、他のメディア、例えば新聞や出版なども同様の責任を負うことになる。これが「統一メディア規制」というもののエッセンスだと思う。ただ、事実上、様々なメディアは第二類型の内容規制をしているから、テレビ=第一類型との差違は、こんなことに注意してね、という基準を国が書くか書かないかということになる。まぁ書かれるのはうっとうしいが、それで国から処罰されることはないから、感情論は別にして、「規制」というほどのものではないのだけれど。
僕は、「多数に直接情報を伝える者の責任」を真正面から認めるべきだと思う。100万人が見たテレビと、100万人が読んだ雑誌と、100万人が見たビラとで、その社会的責務が違うというのはおかしいと思うからだ。ただし、その態様については議論がある。そうして、第二類型、つまり「自主的な審査。事後的な苦情受付・紛争処理窓口の明確化」という点だけ担保することをお薦めする*11。担保、ってぇのは処罰規定があってもよいと思っているからだ。やはり、言論は正々堂々やるもんだ*12。
.
*1:だって、「真実」が不可知かもしれないのに「正しさ」を語りたいのは、「自分が正しい」といいたいからなんでしょ。それとも、その裏返しとして、「自分が思っていることを誰からも否定されたくない」のかもしれないけど。
*2:独占的商品提供者の商品は、市場で事実上他の選択肢がない=消費者に損害回避可能性がないから、その使用によって生じた損害の全ては供給者が補償すべきである、とか。
*3:価格そのものが公的規制にかかる、とか。この種の規制は、参入規制がある業種の事業法では必ずと言っていいほど存在する。ないのは放送法くらいか?
*4:余談だが、死文化した法律というのは、行政という観点からは大いに問題だと思う。死文化したら正々堂々廃止しないと、世の中も財務省もそれに期待することになる。「難しそう(=それをしたら非難されそう)だからしない」というよくある役人の態度は、この点で、承認してよいものではない。ただ、それだけ肝の据わった人間は往々にして官僚になんかならない、というジレンマは確かにあるけど。
*6:ただ、プライドで飯は食えないのである。これはある種の感情論であり、「企業戦略上、バカだ」といっているわけではないので、誤解めさるな。もっとも、業界各社や国が感情論抜きで動いているわけでもないから、実態へのいろいろな影響はあるのだろうけどね。
*7:映倫を通った作品の猥褻性が判断された事例あり。なお、第一類型と第三類型の関係はわからず
*8:もちろん、勝手サイトもある、という前提だが。
*10:CATV法はさして大きな法律ではない。しかし、公益特権がないCATVでも内容規制が引き続き保持されていることの意味はとても大きいと思う。
*11:第一類型、つまりその基準を法定することはお薦めしない。ただ、書いたとしても罰則まではかけないのであれば、うっとおしいけど、絶対ダメだということにはならないだろう。僕は国に「正しさ」の内容まで口出されるのは嫌なので、お薦めしないのだけど。
*12:ここらへんが、僕が実名で書く理由であります。革命を鼓舞する時も、正々堂々顔をさらして叫びたいものであります。