日々是雑感

夏だというのに、仕事までヒートアップしている。頭をクールダウンしよう。本日のお題はただ一つ。


話題、1。iPodなどの非リムーバブルメディアを使ったデジタル携帯音楽プレイヤーについての私的録音補償金賦課に関する議論が調整つかず、文化審議会著作権分科会では9月の報告で両論併記にすると報じられている
 まず、一般論として、僕はこう考えている。著作物が生産・流通セクターから小売過程を経てユーザにわたった段階で、流通は終了しなければならない*1私的録音録画補償金は、この流通が完了しない*2場合において、それを補うべく制定されたものだと僕は考える。だからまず大前提として、購入したメディアを複製して人に配ってもいいだろう、それは購入者の権利だというのであれば、僕は私的録音録画補償金をあらゆる複製可能メディアにかけることに賛成する。
 さて、極論はともかく、それをDRMと呼ぶかなんと呼ぶかどうかは別にして、小売段階で需要者の利用方法をコントロールする十分に完璧な手段がある(これを制御可能流通手段といおう。逆概念は制御不能流通手段ということにする)のであれば、生産部門の意に反する形で需要者の利用は分散していかない。よって、私的録音録画補償金をかける必要はないだろう。この場合、生産者と需要者の間で形式はともかくとして成立する契約の中に含まれた利用条件、例えば米国のiTMSの場合の3台共有だとか10枚焼けるとかいうのは、生産と需要の間の市場での駆け引きの中で生まれたルールであり、それを生産者の意に反した利用ということはできないと思う。現状を批判するのを恐れずに言えば、コピーガードをかけてあるのだからDVD-Rには私的録音録画補償金をかけるのはおかしいということになる。ただ、コピーガードが技術的に「コントロールの十分完璧な手段」ではないとすれば、それは妥当なのだけど。同じように、DVDだけでなく、あらゆる頒布方法について、この「十分完璧」という判断の基準が重要になる。どれほどの完璧性を要求するかは難しいが、誰かがコンテンツを抜いた後の流通性がwinnyやらその他のおかげでこれまでになく高まっているのは事実だから、厳しく判断するべきなのだろう。
 もう一つの論点。今、制御可能流通手段があることを前提とすれば、その上で決まった利用条件は需給の駆け引きの中で決まったルールと考えるべきだといった。これは生産側の選択可能性ということを問題にしているのだ。では、制御可能流通手段(例えばiTMS)は存在するが、市場では制御不能流通手段(例えばCD)が広く普及しているために、現実的には可制御流通手段を選択する余地がなく、制御不能流通手段をとらざるをえないという場合があり得る。論理的選択可能性か、現実的選択可能性かという問題で、これが論点となる。僕は、やや厳しいかもしれないが論理的選択可能性でよいと思っている。特にこれほどIPネットワークで様々な機器が繋がるようになっている現状では、論理的選択可能性を採用しても流通が不可能になって需要者にとって著しく不利益になるという問題はないと考える。でも、仕事がら情報家電にシンパシーがある僕だから論理的選択可能性に傾くのであって、例えばレコード小売店など既存の制御不能流通手段の流通業からすれば音楽産業にいつまでも自分たちを選択してほしいから、現実的選択可能性を主張するのだろうな。
 では具体論。iPodに補償金を賦課するか/しないか、それはどうしてか。結論としては、僕は現状ではするべきだと個人的には思っている。組織としてはどうかしらない。理由は、こうだ。音楽の販売がCDであるという現実を理解した上で、iTunesはCDからのリッピングができるということを前提に、だからCD-Rと同じ理由で賦課対象というべきだ。しかし、それについては、iTMSが始まれば、そのような頒布方法を選んだのは生産側の選択なのだから、iPodを賦課対象にするのはおかしいということになる。さて、ここで問題になるのはiTMSで購入した音楽を一般CD-Rに焼けるという機能だ。せっかくのiTMS-iTunes-iPodの流通システムが、ここで穴あきになっている。よって、CDに焼けることが不可避的条件設定になっている、言い換えれば生産者はCDに焼けないように設定できないというのであれば、現段階においてはiPod私的録音録画補償金の賦課対象になるのだろうと思う。せめてアップルが事業者にCDに焼けないというDRMオプションを用意してくれれば、賦課対象になんかしないと論理的に言えるのに*3。それでも車載オーディオにはCDに焼いて入れるしかないんだよ!とかいう僕のような貧乏人がいるので、iPodのDockコネクタでもUSBでもFWでもいいけどI/Fを業界で統一し、車にも、コンポにも、そのコネクタで接続できるようにして、そもそもCDに焼くようなことをしないでよい状況を作って、CDに焼く機能をなくし、それでもユーザとしては何ら問題ないようにしてほしい。そうすれば、さらに本当に大手を振って賦課対象じゃなくてよいよーと言えるのに。
 iPod私的録音録画補償金をかけろ、と言いつつあれこれ文句を付ける理由は、あたしゃやっぱり私的録音録画補償金という制度には基本的に反対なのだ。何故反対かというと、貧乏なユーザから金を奪う云々というのではなく*4、そもそもこの補償金は生産者の知らぬところで複製されたコンテンツについて本来その生産者に返されるべきであり、それ以外の使い方は筋が通らぬと思うからだ。もちろんそれが完全にできるくらいなら私的録音録画補償金制度なんて意味がない(そもそも制御不能流通手段の概念には、流通を止められるだけなく、流通実態を了知できることも含まれている)から、これは矛盾ではある。ただ、それを完全に把握するのは難しいまでも、私的複製の実態を調べた上で、調査実態に基づいて補償金を権利者*5個々人に渡るように分配しようという不断の努力が必要だろう*6。そうしているならもう少し感情的には収まるのに、ということだ。
 すっきりした仕組みの上でただ需要者だけを見てコンテンツビジネスをしてほしいから、コンテンツ産業は早くDRMされたデジタル空間においで、と心の底から言いたい。


 自分の視点を持つのは大事だ。だけど、別の視点を理解するのはもっと大事だ。多分、答えはどれかではなく、どれでもない真ん中にあるんだ。だから自分の視点を主張したり、他者の視点を違う違うと批判したり、自分の視点に合わせろと要求するだけでは足りないんだ。それができるのがオトナなんじゃないかと思う。でも、周りが子供ばかりだとオトナをやるのは疲れるから、場所を移したいと思うけどね。


 あ、そうそう。繰り返しておきますが、今日のコメントは個人としての意見であり、私の属する如何なる組織、集団の意見ではないということを強く言明しておきます。勘違いされると、僕は明日から乳飲み子抱えて路頭に迷うことになりかねないので。



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*1:これはコンテンツ商品主義とコンテンツ=サービス主義から導いた帰結である。その限りにおいて、現在のメディア商品主義、コンテンツ=物財主義とは矛盾するかもしれない。しかし、僕は現行法の考え方の前提が、メディアからコンテンツを抽出したり、劣化するからそれほど広く転々流通できないという暗黙の前提の上に立っていると考える。従って、コンテンツを抽出できたり、劣化しなくなったりとメディア自体の技術発展があったばあい、それは調整されるべきだと考えている

*2:もってまわった言い方で申し訳ない。要は、生産・流通セクターが、彼らから音楽コンテンツを入手した需要者が他者に利用させること(或いはその代替としてのコンテンツの他者へ提供すること)を了知できず、止めることもできないということだ。

*3:余談だが、例えばiTMSがあるDRMを提供すると、例えばそれは不自由だとか、緩すぎるとかいう論評がアップルについてなされる。仮にアップルがいくつかのオプションを提示した場合、そして例えばコピー禁止という「不自由な」DRM条件で音楽を流通させようとした生産者がいた場合、誰が論評の対象になるだろうか?僕は、アップルがあくまで選択肢を提供しているのであれば、その提供者が「不自由」の元凶として論評の対象になるのだと思う。こういう時に、そういう「不自由な」選択肢を提供したといってアップルを責めてはならない。ここに書いてあるように、アップルにそういう態度をとらないと需要者が言明することが、アップルの重荷を下ろし、iPodに対する私的録音録画補償金を賦課させないですむような措置をアップルに執らせることができる。私たち需要者は、アップルに、iPod+iTMSというソリューションで音楽の聴き方を自由にしたという以上の、音楽そのものの「自由化」という英雄的仕事を求めるべきではない。それは私たち需要者自身の領域である。たとえるなら、アップルというナポレオンに期待するのではなく、私たちが筵旗を立ててバスティーユに、ベルサイユに、パリに集い、蜂起すべきなのだ。ナポレオンに期待する時、私たちは暴君を生み出す可能性もあることを想起せよ。

*4:同じことをレストランで飯喰ったあとに言ってみろ。物体でなければ金払わんでいいというのは理屈にならねぇぞ。こと音楽とかプログラムになると、なぜだかこんな論調の台詞を堂々と「一般消費者の利益」だとか「情報の自由」だとかいう論拠で叫ぶ御仁が後を絶たないので、あたしゃ敢えてこう言っておきたいのだが。

*5:ここでは著作権者とか隣接権者という意味ではなく、配分を受ける権利を持つ人という意味で使っている。これは、そうした権利は著作権法を前提に、契約で決まるものであり、場合によっては著作権法上なんら位置づけがなくても契約で権利者の創出は可能であるという考えに立っている。

*6:これを書いた後で気がついたのだが、流通実態を了知することは可能だが、誰が使ったかまではわからないという事態はあり得る。これは、技術的には制御可能流通手段が普及しているが、プライバシーの問題の問題などで、その生データである流通実態データを生産・流通セクターが用いてはならず、生データを統計的に加工してコンテンツ毎の流通実態統計に抽象化したデータなら使ってもよいという場合だ。ここでは、そうした場合の私的録音録画補償金のあり方への道を示しているのだな。うん。逆に、こういう場合でなければ、制御可能流通手段が普及した時代において私的録音録画補償金制度は存続し得ないわけだ。うん、この方が正しいね。(7/30追記)