日々是雑感

 緊張感に包まれる日々。攻撃は最大の防御なり、とわかってはいても、できるのはせめて生き残り策か。むかし、「すまじきものは宮仕へ」の「宮仕へ」とは、今で言うサラリーマンに相当する「組織での仕事」一般をいう、ときいて頭で納得したのだが、今では肌で納得する。今日も天気はいいだろうに。



話題、1。ついに「日経バイト」が休刊するそうだ。確かまだ中学だったか、高校だったかの頃、創刊した同誌を僕は定期購読していたですよ、創刊号から。残念ながらIBM-PCというか、インテル系CPUは苦手だった僕は、道がこれとはずれてきて、90年代には定期購読をやめていたのですが、「混沌の館にて」は末期までよく読んでました。「bit悪魔の辞典*1と並んで好きなコラムだったよなぁ。そこから関連リンクをたどっていくと・・・なんと、秀和システムも買収されたのですか?!秀和システムといえば、NEC PCシリーズのシステムROM解説本(赤茶色の表紙でしたっけ。一部では「茶本」と呼ばれてましたな)でとても有名だった*2。終身雇用制システムの中で人は組織に10年も、20年も残るのに、会社自体は売り買いされ、栄枯盛衰するわけだね。なんだか、産業社会という視点からは、うまくかみ合っていない気がするが。



話題、2。Windowsに手を加えろというなら、韓国からWindows製品を引き上げるぞとMS発言。韓国公取の暴発に、MSはカウンター暴発、といったところか。うーん、それでもいいのかもしれない。代替技術はあるわけだし。極論を言えば、巨大事業者は様々な「やり方」を歴史に公共物として残し、自身は絶えていくのが世の常なのよね。ペルシャ帝国も、ローマ帝国も、オスマン帝国も、唐帝国もそうだったわな。IBMもそうだったわな(まだ滅んじゃいないか)。MSは様々なファイルフォーマットを残し*3、そして自身はいちアプリベンダーとして大帝国から競争的な一国家になる、だけの話だわな*4。別にMSがにくいわけではないが、かつて西遼がうっかりモンゴルの田舎者の使いを殺したがために滅んでしまったように、こういうガキのケンカのちょっとしたしこりが大きな変化になるような気がして、傍観者として楽しい。



話題、3。「ふんどしUSBケーブル」が市場に投入される。はっきり言って、これを発売するangel Kitty社は、きています。本社は台湾で、それでいて今話題の「しおどめ市」です。社長は日本人で、それで「ふんどし」です。頭痛ついでに、「黒猫メイド服セットUSB!」という商品も出しています。もう脱帽です。「USBかつら」でも、「USBはりせん」でも、なんでもやってください!僕は、ただ、この会社のHPに役所からアクセスしたログが残ってるんで、USBじゃなくてコスプレに反応した頭の固いお役人さんに後でどやしつけられないかだけが心配です。
 でも、これだけじゃなくて、もう一社、どうしてもコメントしたいのがSolidAlliance社。USBつながりですが、USBをとことん遊び倒している素晴らしい会社です。だいたい、ごく普通の「世界最小USBメモリ」を売るのに、小ささを強調するのはよいけれど、どうして耳に入れなくちゃならない!。「サムドライブ」だったら、本当に指にしましたは、まだブラックジョーク的に許せるとして、寿司やらエビフライ、スパゲッティまでくると、もう元ネタわかりません。けれど、このセンスは買いたい。
 おそらく、この楽しい違和感の根っこは、USBというのが事務機、実用物という無骨な存在であることにある。日本の「ヘン」なところというのは、真面目を実に不真面目に行うところにあるのであり、その意味で、このUSB玩具シリーズはとても日本的で素晴らしいと思います。こういうセンスで仕事したいよね。



 時間がない身としては、結構元ネタを/.ジャパンさんに頼っているのですが、今日の書き込みの最後に、御礼を申し上げたいと思います。礼。



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*1:ちょっと思い立って、これをググってみたら、「辞書・辞典・用語大全」というページにヒットした。そこで、この「bit:悪魔の辞典」というワードのリンクが切れていたのも悲しいが、それが「宗教・哲学」の欄にあったのには笑いを越えて、なんだか悲しかった。

*2:Apple][には、マニュアルにシステムROMのコメント付き逆アセンブルリストと、回路図がついていたことはとよくしられています。日本のパソコン、例えばNEC PCシリーズとか、MZとか、べーマスとかではこんなことはなかったのですが、サードパーティの出版社がそういう解説本を出していたわけです。

*3:あ、一太郎OpenDocument対応するんですって。善哉、善哉。

*4:アプリの機能を因数分解して、それぞれが違う商品として捉えることができるという考えは、ある。ファイルフォーマットは特定のアプリにユーザをロックインする慣性の碇であり、それを共通化することは、処理スピードやユーザインターフェースといったアプリの他の(そして多分、「本来」の)機能競争へと市場を誘うことになる。と思うから、僕はそれに歓迎であります。