インフラ産業の引力がうざい。と思ったこと。

 ITmedia+Dで小寺さんが知財本部デジコンWGについて面白い指摘をしていた。いわゆる放送・通信融合問題*1これはで、インフラによった議論をしていることの背景にはテレビ産業vsPC産業の対立がある、というのだが・・・。うーむ。


 テレビ産業という言葉がテレビセットメーカのことを指すのではなくテレビ関連産業全体を指し、PC産業という言葉がいわゆるIT産業全体を含むというなら、まぁわかる。しかし、それがそれぞれのハードメーカ*2だけを指すというなら、ちょっと疑問。


 インフラによった議論をしてしまう最大の原因は、今の地上波テレビ局にとって現在の地位を参入自由の競争状態に晒さないことが重要課題であり、それを守るための最大の理論が「有限な電波という資源=インフラは社会的サービスとしての放送に特権的に与えざるを得ない」という考え方だから。別に、端末メーカに過ぎないテレビセットメーカは、これに対してどういう立場も、多分ない。


 そういえば、先週末に、家電各社がテレビ用に共通ポータル事業を始めるとかいう報道が流れた。ポータルはどうでもよいのだが、裏返せば、テレビメーカの側が言語系や色味などを含めて端末の機能セットを共通化するということなのだな。ポータルの向こうには流しっぱなしの番組を受け取るだけではない、コンテンツが時間とシチュエーションを超えてユーザのお気に召すまま乱舞する*3すてきな世界が待っている、のか?ま、それはいいけど、これは貧弱な機能セットのサーバ百数十台をフル回転させて日本中のユーザを満足させようとしていたモデル*4とは違う世界なのだ。これを「ネット的」と呼ぶかどうかはお任せしますが。ただ重要なことは、PCメーカだけでなく、テレビセットメーカも、対立ではなく、競走として、同じインフラ上のサービスを念頭において走っていること。端末とインフラとで、競争のレイヤーは切れている。


 だから、やはり本質はインフラ利権の当てこすり合いということなのだと思う。コンテンツは、それが本質的にエンターテイメントであり、宣伝であるがゆえに、テレビ由来のものであれ、なんであれ、その向こうに行きたがっているのに、だ。インフラの引力に囚われた人々のために、コンテンツが縛られている。うざい。


 あ、っと、小寺さんのエッセイから離れてしまった。テレビとネットの融合、というか、中間、というか、よくわからないがその地平を、彼は「マルチキャスト」と表現している。技術的ワードで社会学的カテゴリーを表現するのは、最近の、特にIT系の人たちの基本傾向だなぁと思う。うん。そしてテレビに「リビング」が、ネットに「仕事部屋」が対応するとして、マルチキャストに対応した「マルチキャストルーム」が生まれるはずだ、という。この点がユニーク。面白い。
 ただ、最近、家を買ったんですよぉ。リフォームもすることになるんだけど、僕は「マルチキャストルーム」は作らないと思うなぁ。



あ、ブログのタイトル、変えました。




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*1:どうでもいいが、このワードが僕は嫌いだ。だって、正確ではない。放送法を見れば、放送が通信の一部であることは明記してある。だから、放送を通信の中で再整理するだけのことだ。余談だが、警察が強力空気銃を規制するという方針を打ち出したそうだ。放送と通信の整理の問題は、これに似ている。かつては、空気銃なら殺傷能力はないという前提の下で、殺傷能力のある銃を規制すると書くべきところを、規制のあり方をはっきりさせる(これは国民に、という意味もあれば、運用する警察組織に、という面もある)ために、空気銃=○、火薬銃=×、という整理にしたわけだ。ところが、その前提が崩れた。だから空気銃=○、とはいえなくなった。本来の「殺傷能力ある銃は規制する」に帰ったわけだ。放送と通信の整理の問題も、これと同じことだと僕は思う。

*2:OSベンダーみたいなハードに付随するソフトも入れてよい

*3:これが小生の言う「Playlist2.0」の世界である。

*4:いうまでもないことだが、これは今の地上波テレビ局の比喩なのだよ。いうまでもないことだが。