「権利」という言葉の引力がうざい。と思ったこと。

 「業界の××さんから電話を受けましてね、今、知財本部とかどんどん放送局でネット上の権利処理もさせようという方向になっているじゃないですか。いつから政府は、製作者に権利を与えるんじゃなくて、放送局よりになったのかなぁっていわれたんですよ。境さんに言ってもしょうがないですけどね。」とは同僚の弁。


 そんな「?」な苦情を受けるとは、ご同情申し上げる。


 そもそも、「ネット上の権利」という辺りがおかしい。今知財本部あたりで議論されているのは、「ネット上での放送の同時再送信」(いわゆるマルチキャスト*1放送)だけを「ネット上の権利」一般から切り出して、それを「放送」の概念に括り直そうという話。今年のテーマになるVODを含めた同時再送信以外の利用についてはまずもって議論の範囲外。そんなこともわからずに「ネット上の権利」なぁんて考え方で文句いわれても、説明の気力を失うでしょう。
 同時に、たれ込み情報では、テレビ局の方々が、これを「ネット上での配信も放送権の範囲内なんですよ」といっているやにも聞く。それも不見識な話だということは説明するまでもない。まぁ「消防署の方から来ました」っていって消火器を売りつけるようなもんだわな*2。騙される方が悪いのか、騙す方が悪いのか、こればかりは永遠のテーマだが、セールストークとしていう程度のことなら笑ってすませて門前払いすればいいだけの話だと僕は思うけどね。仮に「そういうこと*3ですか?」と総務省でも、文化庁でも、まぁ所管外ですが経済産業省にでも照会してもらえれば、「違います」とはっきり言うだろう*4
 ただ、テレビ局が確信犯で、セールストークが「No!というなら放送もしてあげないよ」という脅しなら、それは話が別で、独禁法上の所謂「優越的地位の濫用」ではないかという疑義は生じる。どちらかをあぶり出すには、とりあえず「No」と言って、先方がどういう手段に出るかを見ればよい。それでもテレビ局が怖いのかなんだかしらないが、とりあえず「No」と口にするくらいもしないなら、不平をいう資格もないわな。


 この「権利」という言葉は、呪縛のようにコンテンツ業界を覆っている。これがまた頭痛のタネだ。


 「権利」は契約関係へのパスポートに過ぎない*5。そして、「権利」はその契約で収益分配権を確定するためにある。
 ところで、「権利」は多重に存在するので、契約関係を結ばなくてはコンテンツは使えない。経済学の論理では、収益を得るために契約関係を結ばなくてはならないので、みんな契約を結ぶことになって問題ないことになるのだが、現実はそうもいかない。今はとにかく収益度外視で頑張って自分の条件を主張して将来すっごい条件をとろうみたいな山師的ハイリスク・ハイリターンな夢を見る人とか、そもそも収益なんてどうでもよいよという人が一人でもわがままを言い出すと、話は先に進まない*6。で、だいたい動かない。
 だから、元文化庁著作権課長の岡本氏などは「契約問題だよね」というわけだ。これは論理的に正しい。契約関係の中で「権利」を作り出すことも可能だ*7ということも考え合わせると、なおさら「契約問題」が重要になる。現状を考える限り、世の中はコンテンツをもっと使わせてほしいから、これ以上「必要的関与者」が増えることは望んでいない。


 わかってほしいな。責務を考えない「権利」という言葉が、製作者を消費者の敵にしてしまう。


 「輸入権」の時にも思ったんだけどね、「権利」は行使して、妥結して、一定期間内にコンテンツを市場に提供するという義務とバーターじゃないと、多分、与えてはいけないのよ。うん。だから、話を「契約問題」に帰した方がよいのよ。もし契約が結べないヨーと騒ぐなら、契約法典作ればいいじゃないヨ。単なる契約問題と事実上の力関係の問題を、権利問題に転嫁するのをやめようよ。論理的にも、権利問題では解決できないんだし。経済産業省コンテンツ課時代から一貫して作ったヤツの味方だけどさ、関係者に権利をばらまくことは解決にならないって。自分も「権利」持てたことで、溜飲は下がるかもしれない。確かに産業政策のテーマはお金だけじゃなくて、心理的満足というインセンティブも重要さ。だけどさ、僕らは誰の「味方」っていって、まずは視聴者=世の中の味方なので、やってあげられることと、やっちゃまずいことがあるわけヨ。どうかご理解いただきたい。


 それにしても、こんな当たり前田のクラッカーな話を延々書かなくちゃならないほどの気分にさせてくれた「著作権」が憎たらしい。いかにも特殊そうに見える「著作権法」なんてやめて、普通に民商法に書き込んだらどうかいな?



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*1:ここで「マルチキャスト」という言葉を使って概念を表しているのは、小寺さんのマルチキャストルームと同じなのね。だから、今は「マルチキャスト」なんだけど、もっとストレートな言葉が生まれたりしたらそれに変わればいいし、仮に将来ユニキャストとかブロードキャスト(そりゃすごいネットワーク負荷だろうけど、ま、SFみたいに思ってもらって)を使って同じことができるようになったら、名前も制度も変えなくちゃいけないわけね。

*2:これは、思いこみと連想のトリック。あるウソではない文a(消防署の方から歩いてくる)を使って目的b(消火器を買う)を達成する際、本来はa→bとはならないのだが、aが連想させる別の事象A(消防署の指示で売っている)でA→bという合理的な関係を使ってそれを実現するという手法である。

*3:ネット上で利用する権利はテレビ放送局のものである

*4:ここらへんも「消防署の方から来ました」と同じね。消防署に訊こうが、総務省消防庁に訊こうが、訊いたら「違います」と答えてはくれる。

*5:関係するコンテンツの使用に関する契約関係に必ず入れて貰えるということ。

*6:経済学は、前者については市場の失敗として整理している。後者については、う〜ん、なんとも言葉が見つからない。そもそも、どだいこういう人を純粋経済人の前提に成り立つ市場主義経済思想で取り扱おうというのがムリである、と僕は思うのだな。

*7:ただし、この「権利」は第三者効力のないものだ。これにも第三者効力を与えるのであれば、公的効果を持つ開示制度を作らなければならない。