みな、世の中は「活かされあっている」んだなぁと思うこと

 前回の日記にコメントついたので*1、ちょっと書き足しておこうかな、とか。
 いやぁ、「人」という字はね、二人のひとが支え合っているんだよ。って、ガキの時にぜってーみんな聞いた話*2。そんなことを思い出すのは、例の「IP再送信」だか「IPマルチキャスト」だか言っている、「放送の拡張」の話。
 なぜ「放送の拡張」で「人」?


 それはね、この話が出てきた最大の理由は、コンテンツ産業側の自滅だからだ。
 この話に詳しい人は皆承知していると思うが、テレビ産業は著作権の設計とは違った法運用をしてきた*3。つまり、生中継もの以外のコンテンツについても、一時固定をベースにした法適用を続けてきた。さらに、これは後に公取から文句が付いて変わったが、番組製作契約内に、そもそも著作権は自分に発生すると書かせ続けてきた*4。21世紀に入ってからのコンテンツ産業政策は基本的に生産=製作と流通=放送を分けて、番組=商品=製作物は様々な流通で活用しよう=マルチユース奨励なものだから、お金持ちなので流通拡大に今ひとつ本気になれず、他の流通に流すより自分の流通に全てを寄せてしまいがちな放送事業者にはやや引いていただいて、製作会社にもっと前にでてこい!という気分になってる*5。だから、「放送の拡張」には非常に抑制的だった。


 これは、誰のためでもない。業界を越えた日本経済全体のためであり、経済界もそれを支持していて、そしてだから産業政策として、この方針は現れたのだ。ブロードバンドの進展の中、テレビ番組を開放すべきという声は絶えなかったし、だったらテレビ局にやらせればよい(ネットも放送と言ってしまえ)とか、そもそも著作権を改正してネット利用の許諾権を剥奪せよとかいう声まであった中で、文化庁はもとより、経済産業省ですら、「ネット配信は契約によって可能であり、業界が自らネット配信の契約を結ぶことが内部的に合理的なレント配分を実現する」と言い続けてこれに反対してきた。
 ところが、電気通信役務利用放送ができて4年間、コンテンツ産業界は、この世の中の声に答えなかった。
 おそらく最後のチャンスであった経団連における議論で、業界全体としての合意は形成されなかった*6


 そこで、世の中は、キレた。それが「放送の拡張」容認になっている、と僕は思う。まぁ容認するにしては、抑制のきいた容認方針だが。


 経済は、お金を流していくゲームだ。お金の流れは相互依存している。だから、コンテンツ産業というコップの中の利益配分ゲームにかかずりあうことは、それが経済全体の中で重要であればあるほど、関係者には許されない。経済は、ちょうど芥川の小説、「蜘蛛の糸」みたいなものだ。「これは俺のもんだ!」と言った瞬間、糸が切れる。
 あるいは、この自分の立ち位置を理解するということが、業界としての格、とか品位、とか表現されるのかもしれない。そういう意味では、まだコンテンツ産業は自らの品格を世に示してはいない。経団連から日本経団連になって沢山のコンテンツ産業が経済団体に参加するようになったが、その品格は以前の少数精鋭経団連時代に遠く及ばない。
 同情すべき点は多い。確かに、コンテンツ産業はこれまで蔑視されていた。しかし、せっかく世の注目が集まる中、それに開き直っていてもしょうがないし、第一、そんな薄っぺらい再評価に有頂天になってやることやらなかったら、世の評価なんてあっさり翻ってしまうだろう。
 コンテンツ産業は、メジャー事業者が、ネット上での利用を拡大するような業界間での一応の合意基準打ち出しをしなくてはならない。それが世の中の要求なのだと思う。


 コンテンツ産業は、脚本家も、監督、スタッフも、実演家も、芸能プロダクションも、中で使用する音楽に関する作詞家、作曲家、実演家、原盤製作者も、合意の上で、簡単な方法で、一定の金銭を払えば、流通業者が利用できる方法を速やかに提示しなくてはならない。それをまとめ上げるのは確かにプロデューサなのだが、だからプロデューサ育成なんて言うのは政策としては30年遅い。
 そこを押し流していくのがひょっとしたら政府の政策なのかもしれないが、そこに合意形成のための一言を押し込む知見と度胸と意思がない、いわば政策の不在というのも、非難されていいだろう。役所の人々はこの言いぐさを聞いてどう思うかしれないが、予算を獲得すること、税制特例を獲得すること、それらは全くどうでもよいことだ。今や企業の商品と同様、政策すら世の中との対話の一方に過ぎない。政策が失敗するなんて当たり前だ。そもそもノーアクションが一番悪い。予算とりや、税制要求などの「お仕事」でそれをあたかも仕事してるように偽装するなんて、もっと質が悪い。ヒューザーの強度偽装問題を追及する前に、役所の仕事偽装問題も考えた方がよいだろう*7


 「放送の拡張」でも事態が好転しないなら、次は、ちょうど映画とテレビの交代期のように、どこからか新しいコンテンツ産業の流れが登場し、全部呑み込んで押し流していく、そんなことになるかもしれない。



 残念だが。





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*1:けっこうコメントつくと嬉しいのである。

*2:手と手のしわを合わせて「幸せ」なーむー。とかいいつつ、「しわ」と「しわ」を合わせると「しわあわせ」だよな、って冷静に考える自分は無粋だ。

*3:これを「著作権法違反だ」という人もいるかもしれないが、僕は見解の相違だと思う。本当にそれが間違っているか、間違っているなら正すか、それは裁判所で議論して始めて出る結論であり、テレビ産業の敵でもなけりゃ見方でもない僕は、その主観を云々し、侮辱にもなりかねない言葉を吐くのはゴメンしておく。

*4:今では、公取の指摘により、製作委託に関する契約と、できあがったものの権利を買い上げる契約と、二つの契約になるようになっている。まぁ合算した金額が以前の当然権利発生型契約の金額と殆ど変わらない、ってオチはつくんだけど

*5:実は、この点で、著作権法は、放送事業者に公衆送信に関する隣接権を付与したという大チョンボをやってしまっている。おいおい、これはどうにかせーよ。

*6:少なくとも、今それで配信できない以上、合意が形成されたとは言えない

*7:残念ながら、僕はここしばらくコンテンツ産業に関する責任も、権限も付与されていないので、組織の一員としては何らしようがなかったのだが。なぜなら、これを解決するのは僕の大先輩方の人事部局の問題であり、そこに越権介入する気はないからだ。