絶対に勝つ日本野球を作ろう

 今はサッカーにその座を奪われているのかもしれないが、かつて野球は日本の「国技」とも言って良い国民スポーツだった。WBCを体験して、その刻印は、スポーツにさして関心がない僕にも、しっかり刻まれているのだとわかった。


 歴史を見れば、東アジアの野球は日本を中心に広まった。歴史に目を奪われて、韓国を等閑視したことは反省するべきだろう。青は藍より出でて藍より青しという。発祥の地や、普及の中心が、いつまでも最高の水準を誇るという道理はない。


 韓国チームは強かった。
 確かに日本チームは最強メンバーを集められなかったとか、不運な判定に見舞われたとか、いうべきことはあるかもしれない。しかし、環境はさほど韓国も変わらない。それでいて、すくなくとも最強メンバーを集められなかったとすれば、それは愛国心も含めた総合力として韓国に及ばなかったと言うしかないのだ。
 安易な自己慰撫は慎むべきだ。負けを素直に認め、勝った韓国チームを尊敬し、そしてその悔しさをかみしめるのがいまできることだ。


 今、日本野球を強化するから1万円寄付してくれと言われたら、喜んでたたきつけるかもしれない。それだけ、今日は悲しみ、そして怒っている。




 しかし、問題は野球だけではない。問題は韓国だけではない。
 僕たちは、冷めすぎている。競い、時に負け、時に勝ち、一喜一憂しながら強くなっていくことに、小賢しい無駄を避ける効率論で背を向けすぎる。本当は効率を上げたいのではなく、単に痛い思い、悲しい思いをするのが嫌なだけではないかと訝りたくなるほどに。


 奮起せよ、選手達。
 我々、観客も役目を果たそう。





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