Google+YouTubeと情報大航海に見る産業調整の日米それぞれの形

 大学の教員ともなると、ホームページの一つも作らなければならない。独自ドメインもとるべきだし、サーバも建てなくちゃだわ。で、誰がやる?あ、俺がやる( ´_ゝ`)
 ・・・てなことをやってて、そしたらブログも更新しようとか思っていたら、半年経った。笑い事ではない。これは腰が重すぎる。
 だから、全部うっちゃって、ブログだけ再開するだな。ホムペできたら、親しい人にはもちろんメール打つけど、まずはここで告知すればよいだな。うん。



話題、1。まずはタイトル変えたである。今の気分である。「いまのきもち」は中島みゆきである。


話題、2。GoogleYouTubeを買っちゃったである。経済の諸調整にはいろいろな形があるが、こういう資本レベルでの調整こそが米国型のダイナミズムのまさに真骨頂である。これは「買っちゃったらもう自分のものよ」とでも言いたげな、言うなれば資本家の所有欲の暴力的発動ともいえる日本型の買収とは違う。金融経済と実体経済*1はしばしば乖離するが、産業資本という存在は金融経済の次元のものではあっても、きちんと実体経済の有り様をわきまえて行動するだな。産業資本が実体経済の調整を資本市場を通して行うという成熟した資本主義では、資本家が資本家の分をわきまえるようになるだな。
 話がそれた。で、日本では情報大航海が船出しているである。Google八分を批判したビデオ*2がどーこー言われているが、まーそれはよい。ただ、重要なことは、このプロジェクトは市場にどういうインパクトを与えるのだろうかということだ。
 私見である。金融経済が常に膨張しがちな現代の産業政策の本質は、市場における合従連衡の調整にある*3と思う。GoogleYouTubeの競争は資本の力で調整された。多分、GoogleYouTubeの提携の本質は、映像データベースに関してGoogleの検索技術とYouTubeメタデータ+ブランドが相互交換されたことにあり、そこで生まれる最大の力はデファクトの映像向けメタデータにあるのではないかと思っている。だとすると、情報大航海は何をするのだろう?
 たかが二つのベンチャー企業合従連衡という話が、船出して間もない世界第2位のGDPを誇る先進国の産業政策に匕首を突きつける。何億予算を確保しにいくのかは知らないが、経済産業省はこれから年末までの予算プロセスの中でどのような答えを出すのか、期待を込めて、興味深く見ていたい。個人的には、ウェブ上に展開する主要なコンテンツに対するメタデータのそれぞれの種別毎の基本的な定義、或いはそれを生み出す方法の定式化に話がいけば素晴らしいと思うが。ま、それは妄想かも。
 ただ一つ願うことは、市場にどんなインパクトを与えるか、言い換えれば参加者を調整して何を生み出すかという大方針を先を見据えて定めることなく、単なる予算ばらまきをやることはしないという良識を、関係者が見せてくれることだけだ。嘯いて*4血税を予算ゴロに大盤振る舞いをする*5というのでは、かつてそこにいた者としてあまりに胸が痛い。


 秋入学もある早稲田GITSには、ついに境の指導学生もできることになった。どういう指導ができるか、それも自分との格闘である。
 けれど、ブログを止めて半年、とりあえず前進。


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*1:これを経済と産業と言い換えることもできまいか。すると、どこかのお役所のネーミングはなかなか奥が深いとも言えまいか。で、経済か産業か、どっちに軸足おくの?

*2:実は、あのCEATECで、「情報大航海ということで一家をかまえるなら、全体を貫くメッセージをきちんと打ち出せ」と要求したのは私である。それに答えて出てきたメッセージがあれである。全く作業が遅れて、チェックする時間が無く、私もあれを会場で初めて見た。絶句した。むずかしい議論はmkusunokさんがしているからいいが、展示プロデューサとしてはただただ品位が下がるのが嫌だった。

*3:垂直統合を前提にしたサービス開発モデルと、水平統合を前提にしたサービス共有モデルの対立を、問題になっているサービスの成熟度をよく見極め、限界開発費用が小さくなって無駄な競争をしていると思うときはくっつけ、逆なら競争をさせ、ということだと思う。金融市場が健全ならこういうことは市場がやるが、何せ日本の企業はコングロマリット化していて、各部分毎にこうした調整をすることができない。例えば仮にテレビセットがこの限界開発費用が十分小さい過当競争状態に陥っているとして、市場はテレビセットを買うだけの資本を合理的に生み出すはずだが、それでは松下全体は買えない。松下がテレビセットを切り売りしてくれるなら話は簡単だが、そうもいかないのが世の中である。法律を使ったり、説得力を使ったりしてこれを調整するのが、産業政策だと思っている。

*4:政策評価を言論市場という外部者の手に委ねない政府機関は、自らのアクションを自己正当化して批判に耳を閉ざすということもできる。やっていいわけではないが、できる。

*5:特に最近の金融市場を見る限り、市場から資金を調達する方法は山とある。それでいて国の予算を使わないとできないというのは、単にそのプロジェクトは市場から評価されていないということだろう。蕩々としくみを説明するのでも、手弁当でまずはやって見せてしまうのでもよいが、市場と真正面から向き合うことはできるはずだ。それをやりもしないか、或いは失敗したプロジェクトに税金を投入するというのでは、こういう言い方をするしかないだろう。