ナップスター開業を歓迎するにあたり

 先日、デザイナーの佐藤武司さんと会ったが、話がナップスターのことに及んだ。びっくりしたのは、彼がこれは音楽産業を壊すのではないか、と憤慨を隠さなかったことだ。伝統的に、音楽産業関係者はビジネスモデルについての感覚が鋭い。


 ナップスターのビジネスモデルは、音楽の定額聞き放題モデルである。この定額聞き放題モデルとiTunesに見られるダウンロード毎課金モデルの違いについては、きちんと考えておかなければならないことがある。
 まず、現在の利用者=需要がCDやiTunesからナップスターに移行した場合、単純に収益が減る*1。ただ、私はそのことは問題にする気がない。
 問題にしたいのは、ビジネスモデルを変更することで生じる「利用者が多くの楽曲を聴くことのリスク」をどのように業界内で分配するかということだ。
 iTunesなどのダウンロード毎課金は、いわばCD盤なきCD販売で、ビジネスモデルはCDプレス代と物流コストが配信の場合の電気通信コストと情報管理コストに変わっただけである。ナップスターと同じ配信ではあるが、ビジネスモデルの変更は認められない。一方、定額聞き放題モデルの場合、聞く曲数が増えるほど、1曲回あたりの配分量が減るという事態が生じる。「利用者が多くの楽曲を聴くことのリスク」といったのは、これのことだ。
 さらに、ナップスタージャパンのサービスには、約1300円/月の定額モデルに加えて約2000円/月の定額ダウンロード聞き放題モデル(ダウンロードなので、対応する機器に転送して訊くことができる)、そしてiTunes同様の150円/曲の完全売り切りモデルがある。この定額ダウンロード聞き放題モデルについては、DRM技術を組み込んだ専用ソフトを使ってこれを実現しているわけだが、このDRMが、すでにクラックされている*2。また、この場合、聞いた回数を適切にサーバに報告して配分に反映させているかどうか、個人的には疑義無しとしない。
 コンテンツ「産業」という考え方は、金銭的モチベーションで創作を促進するという思想であって、そうであれば、可能な限り生産者のビジネスモデルを利用毎課金モデルへ引き寄せることがとても重要になる*3ナップスターが再生されたコンテンツの供給者に何らかの割合で単純に収益を配分するというモデルを採用する限り、聞いた曲数という要素で一曲あたりの収入は変化せざるをえない。言い換えれば、コンテンツが聞かれれば聞かれるほど、コンテンツ自身に対する単位あたり収益は悪化するというパラドックスを含まざるを得ない。私は、これはコンテンツ産業に対する重大な問題であると指摘したい。
 もちろん、これはナップスター自身が自らのリスクで1回利用あたり定額のリターンをコンテンツ生産者に付与するというビジネスモデルをとることによって一定程度解決可能である。この場合、利用者が曲を聴く回数が増えるほどナップスターは収益が悪化するため、いずれこのリターン額を小さくするようコンテンツ生産者と調整するか、或いは、こちらの方がより妥当な解なのだが、利用料を上げることで利用者との間を調整するかすることになって、ある程度合理的な市場調整はできると考える。
 事業者は、ナップスターのサービスに楽曲を提供するにあたり、こうした問題点をどこまで重要な問題として認識しているだろうか。アーティストや著作者は、こうした問題点を自分が組んでいる事業者がどれほど理解しているかが、どれほど重要な問題だと認識しているだろうか。iTunesなど代替的なソリューションがある状態では有力アーティストの有力コンテンツはナップスターには出さない、少なくともダウンロードはさせないというのが合理的選択であるような気がするが、ビクターなどの対応はどうもそうではないようだ。そうした対応を否定するわけではないが、単に新しい顧客が来たといって利用許諾をするのではなく、きちんと試算した上で計算された利用条件で許諾するべきだという警鐘は鳴らさなければならないと思うのだ。


 しかし、それにしてもかつてのようなネットワーク悪者論はようやく去り、むしろ緩い条件で許諾しすぎだろうと言えるような時代になってきたわけだよな。とりあえず前進。



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*1:供給セクター内における分配を、コンテンツ供給者=アーティスト、著作権者、原盤権者それぞれへの配分の合計を20%とやや低めに見積もっても、CD1枚を2500円とするなら、収入は500円/枚、アルバムを10曲/枚とすれば50円/曲になる。配信の場合はだいたい1500円/枚だが、流通コストがかなり低いので、商売の常道である折半(この「折半」というのは、二つの事業者が互いのコストを明確にできず、また段階的に精算することができない協業的ビジネスにおいて、しばしば見られる考え方である。「単純さ」「わかりやすさ」がある種の説得力、或いは納得力になっている、ということだろうか)から流通業者有利にカウントしても、75円〜50円/曲程度ではないかと推察する。一方で、約1300円/人のナップスター定額聞き放題サービスの場合、仮に1ヶ月でアルバム10枚を均等な回数だけ聞くとすると、ダウンロード販売モデルからのアナロジーで見れば、コンテンツ供給者総収入は65円〜40円/曲となる。ただし、繰り返すが、これはあくまでアルバム10枚を均等な回数だけ聞いた場合で、聞いた回数が均等でなければその分だけ配分は前後するし、聞いた曲数自体が増えればそれだけ配分単位は下がることになる。

*2:実際にクラックされる瞬間を私は見た。まぁ、こうしたDRMとクラッカーの間のイタチごっこは当然想定しなくてはならないことで、「私は見た」とか偉そうにいうようなことではないんだけど。

*3:音楽に留まらず、コンテンツ産業のビジネスモデルは「1利用いくら」という利用毎課金が議論の出発点になる。ただ、これでは消費者が財布の中身の減り具合に「怯え」ながらコンテンツを「楽し」まなくてはならないので甚だ都合が悪い。そこで繰り返し利用するようなコンテンツは、最初から供給者側が妥協し、「1コンテンツ永代利用権いくら」という販売型の値付けになる。伝統的なレコードやCDを売り買いするということは、そもそもメディア技術の限界でパッケージ販売後の利用回数を把握することが不可能だったという事情をさっ引いても、だいたいこういうことを意味していたと考えてよい。ただこれにはもう一つ別の妥協の方法がある。それは「期間定額利用料1人あたりいくら」というレンタル型で、これはコンテンツ一つあたりだと販売型のサブセットになるが、これをコンテンツを集めたプール全体に対してとすると、マンガ喫茶型の課金となる。これはさらに「永年定額利用料1人あたりいくら」という共同購入型課金となり、最後は皆さん、無料で利用してください=図書館ということにまでなる。妥協が進めば進むほど、産業的な意味でのコンテンツ再生産メカニズムは毀損される。