代アニがんばれ!(大学もっと頑張れ!)

 代アニこと、代々木アニメーション学院が民事再生法を申請した
 長いこと、アニメ業界の人材育成は専門学校に担われてきた。代アニはなかでも老舗で、なんてったって僕がまだアニメ雑誌なんか購読していた30年くらい前に、すでに派手派手しく広告を打っていたのを覚えているくらいだ。


 21世紀になって、コンテンツ政策なんてものが世に出るようになって、いろいろなことが変わってきている。変化の一つに、アニメに限ったことではないが、コンテンツ系の人材育成に大学が進出してきたことが挙げられる。
 大学でのコンテンツ人材育成に旗を振ったのは、他でもない、古巣の経済産業省だった。座学では育成なんて無理だとか、すでに専門学校が機能しているので屋上屋だいう根強い議論はあったが、大学が人材育成対象としてコンテンツを挙げることは、他の学問分野の知的基盤から現状を見直す合理化の契機となるかもしれないし、なによりコンテンツ業界の社会的ステータスの向上になるという魅力は抗しがたかった。そんなわけで、合理化ニーズの高かった経営、つまりプロデューサ育成を対象に、大学での人材育成を促したのである*1。大学側の反応も早く、東大を初めとするいくつかの学校が呼応した。少子化の中、コンテンツという集客力ある分野に進出したいという経営上の戦略もあったのだろう。


 アニメに限らず、コンテンツ業界はOJTが人材育成の主流である。そこには利点もあるが、弊害もある。最大の弊害は、経験主義は業界の既存のフレームワークを前提にしたノウ・ハウ伝授なので、そもそも業界構造自体が流動的な情勢の中ではどうしても保守的な傾向を持ってしまいがちだということがある。だから大学における人材育成の本質は、業界に関する事情やノウ・ハウの伝授ではなく、業界の現状を異種知性格闘技戦とでもいうべき形で検討し検証し、新たなあり方の可能性と確実性を検証する試みにある。
 ただ一つ気がかりなのは、そうして字面でわかったような気になっている人材が実際に事業の中で成果を上げられるかだ。気がかりだが、この大学での教育の是非論は、単純にその是非を決めなくてよい問題だと思っている。頭でっかちの人材が現実性のない理屈を振り回して業界の経験者に馬鹿にされている図が頭に浮かぶ一方で、これまではあり得なかった業界提携や商品を生み出して評価を受けている図も頭に浮かぶ。正直言って、そこは確率の問題である。ただ、その確立を上げるためには、できるだけ業界経験を積んで、経験を批判的に検討できる目をもった人材が大学に学びに来てくれることを、あるいは大学で学んでコンテンツ業界に飛び込む際にその人物が自らの経験不足を認識して多少は謙虚な気持ちを持ってくれることを、祈るのみである。


 専門学校に問題がなかったわけではないだろう。職業訓練という役割を持つ専門学校ならば、卒業後の仕事獲得が最大の関心事だが、それを等閑視していた学校も多いと聞く(代アニがそうでなければよいのだが)。それに、いくら職業訓練だからといって、社会常識としての教養を過度に軽視した教育もあったりする。ただ、僕の知っている経営者や担当者は、それは真面目にどういう教育が社会ニーズとしてあるのかを日々考え、卒業生の就業支援や事業支援のあり方に頭を悩ませていたので、僕は好意的に解釈している。


 むしろ問題は大学なのかもしれない。
 僕はビジネスモデルを専門に分析していて、関心は新しいビジネスモデルのメタ理論構築にある。経営学や経済学といった領域をテンプレートにしたコンテンツビジネスに関する教育は、大学でコンテンツ産業に関する教育をする機会が増えたとはいえ、僕の見る限りあまり多くはないようだ。正直言って、業界の有名な人が来て経験談を語るだけの講座なら、大学でやる必要はない。それを大学がこれまで維持してきた、古いけれど、正統な系譜の上にある知的フレームワークの上にそれを置き直して検証するという作業が必要だ。それを増やさなければダヨネ。
 /.Jは、代アニが民事再生法を申請したというニュースを、大学がこの分野に参入してきたことから競争が激化したための倒産と報じた。しかし、アニメータになるために大学に入るというのは、役割分担が違うよね。大学が自らの役割を果たすのであれば、そんなところにアニメータになるために行った人は間違った選択をしたことになるし、もしきちんとした職業アニメータ教育をするのならそれは一般大学としては間違った役割発揮をしているといえまいか。
 アニメータは、見る者を心地よくしてくれる絵を描くことがお仕事だ。それを追求して欲しい。代アニは、大学なんかに負けるな。専門学校は専門学校の道を堂々と歩いていけ。


 そのための警鐘となれば、今度の一件も、明日へのステップである。苦況にあっても、とりあえず、前進。


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*1:その後、クリエイタ人材育成にまで話は拡大するのだが、それはあまりに本旨と違う。おそらくは、政策決定過程で、こうした検討の経緯が顧みられなかったのではあるまいか。