文化産業の経営難の特効薬は、やはり。。。

第一回中国北京文化・創造産業博覧会のなかの、演出産業高峰論壇というものに出場するということで、北京に行ってきた。演出というのはこの場合ライブということなのだが、コンテンツのビジネスモデルを専門にしてますというのに、ライブの話に呼ばれたのはちょっと場違いである。僕の前にロンドンのバレエ団のマネージャやそいでもって宝塚・ジャニーズモデルのビジネス構造と鍵を説明すると、場違い感はいよいよ強くなった。でも、まぁ結論としてはとりあえず現地の人には望外に受けがよかったので安心したのだけど。


 午後になって関係者の討論会に参加したのだが、なかなか興味深い構図が展開された。参加者は、文化部系の中央・地方政府関係者、民間の演出公司(公演プロデューサ)、チケット事業者のような関連事業者、それから僕を含めた外国人ゲストという構成。面白かったのが「ライブは品質の向上のためにも民間事業として独立採算でやるべき」と主張する政府関係者に対して、民間側が「その通りで、固定客の囲い込みを進めて経営を安定化させ、品質の向上を通じて発展を模索すべし」というまぁ優等生な意見と、「ライブは資金調達が難しいから政府の金融支援を強化してほしい*1」という意見に真っ二つに分かれたことだ。



 基本は民間事業で、必要に応じて政府が支援するという構図は日本とほぼ変わらない。どうしてそうなっているのか。そして「必要に応じて」というのはどういう思想にもとづきどういう基準を設定しているのかについて、残念ながら、きちんとした説明を文化庁から聞いたことはない。だから、僕は勝手に、それは市場原理を用いることでやりたい人が見たい人より多くなるというこうした表現の産業について品質向上を生み出す制度的枠組みを作っている*2と積極的に解釈している*3
 積極的に市場に品質判断の機能を求めているかどうかはさておき、消極的にであれ、市場で頑張れという政府。そんなこといわないで金をくれという事業者。恥ずかしいから止めろ、やりようはあると意見する事業者。
 こういうと、政府関係者もいたので優等生的な意見が出たのかもしれないと思うかもしれない。僕も思った。しかし、その意見の急先鋒である北京現代舞踏団の張長城さんは、実績がある人物でもある。きちんと顧客の囲い込みをすべきだという僕の意見に対して、その初歩的段階は当然やっていると語気を強めた上で、需要予測は難しく需要におもねるのではなく、むしろ積極的に新しいことをするのだといった姿は、クリエイタ系経営者として非常に立派だった。
 全体の傾向はともかく、こういう人がいるから中国は面白い。


 余談だが、その後僕の袖をつかんで、芸能学校を作りたいんだけどどうやったらうまくいくかと聴いてきた人がいた。訊くと、西安の広告会社や演出会社にいた経験はあるが、メディアとの関係や北京や上海のプロダクションとの関係とかはないというし、有名人を呼んで講義させるからという。学生に対してデビューの可能性を提供できないのであればカルチャースクール以上のものにはならないので、止めておけと言ったら、1時間以上袖を捕まれて同意を強制してきた。いや、まぁ、過度に楽観的で、その上、妙に卑屈という、とても見慣れた、でも久しぶりに見たダメダメぶりに、思わず笑顔さえこぼれた。
 こういう人もいるから、やっぱ中国は面白い。


 久しぶりに中国に出会えて、その成長ぶりを肌で感じられたことは、大きな前進だったと思う。

*1:政府は公共広告費をライブ事業に回してほしいという意見を含む

*2:お客が入るということに、過剰供給を選別する役割を見いだしていると言うこと。先行して必要になる資金の調達は、客が入ると推定される実績=信用を基礎として判断され、その成否は客の入りに還元される。ただし、信用がおけるかどうかを判断するのが目利きの機能が重要になる。

*3:言い換えれば、政府の支援範囲は市場価値が認められないと断定できることのなかで政策的に補填すべきこと、例えば日本人意識の維持を目指した伝統文化公演や人口が少ない地域での公演事業に限られるということになろうか。もちろん、これは僕の意見なんですけどね。