美術館に行こう!
国立新美術館の内覧会に行ってきました。
って、そんなキャラでもねーですけどね。お誘いいただいたので、これも何かのまちがいご縁だろうと。
文化庁メディア芸術祭10周年企画展「日本の表現力」をやってたですよ。それ見たです。
実は、かつて、常設でマンガとかアニメ、関連フィギュアとかそういう展示をしたいのでという相談を某スジから受けたことがあるデス。その時、僕はまだ政府内にいて、サブカルの世界に土足で権威筋が入ってくることの意味を考えて、反対したデス。
でも、まぁ企画展ならよかったですね。
サブカルがメインストリームになっていく過程というのは、とてもほろ苦いものです。大切なものが自分たちの手を離れてしまうような、卒業してしまうような、つまらなくなってしまうような、そんなものです。権威筋がそれをさらっていってしまうなら、その喪失感は非難(権威筋だけでなく、その大切だったものに対しても)やその他の負の反応になるかもしれない。
でも、本当はカルチャーにサブもメインもないんだよね。好きなものは好き。それ以上の価値の見出し方があるだろうか?
事物の価値は関係性で決まる。とわかった上で敢えて言いたい。その事物に帰ろう、と。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。偉そうな奴が誉めるんだったら、もうそんな作品には興味ない。そんな無粋なこたぁやめようよ。
サブカルってのは、そもそもそんなものだよ、メインからの逃避、メインに対する反対、それが本質なんだよという訳知りな御仁もいらっしゃろうよ。いや、それは確かに、サブカルはメインから逃げているのかもしれない。けど、逃げる必要はない。
どうどうとメインカルチャー筋に文句を言えばいい。それつまらないよ、と言えばいい。これが面白いよ、言えばいい。自分の好きな作品を持ち上げ始めたら、ほう、おまいさんもなかなか目が肥えてきたね、と言ってやればいい。
いい展示だったよ。西暦で10年ごとに区切られたブースで、マンガ、アニメ、CG/ゲーム系コンテンツ、それからメディア芸術の展開を相関した塊として見せていく。ある種の回顧展だけどね。
スーベニアショップにもいろいろマンガがあったね*1。「超芸術トマソン」があったのもよかった*2。
マンガやアニメのセレクションもまずまずだった。ゴノレゴがあったのはちょっと踏み込み過ぎかとも思ったけど、「国立新美術館」なる「権威」がかじりとっていくにはいい感じだった。
展示会場を歩く僕の横を、年配の男女が通っていった。
「こんな感じのヤツばっかりなんだね」
「こんなの芸術じゃないよ」
・・・・。おいしいなぁ。
「芸術」なんて軽々しく決めつけるなよ。「芸術」という言葉の定義は、何が「芸術」に含まれるかなんて、さらに「芸術」が言語全体の中でどんな位置づけかなんて、あんたが決められる問題じゃない。いくら歳を重ねていてもね。
それを決める権利は誰にでもある。そう、僕らにもある。
だから、美術館に行こう。
そしてわけのわからない「ゲージュツ」の前で、「こんなわけのわからない、感動できないものは芸術じゃない。Plutoの原画とかないの?」とゆーたろうじゃないか。
「芸術」を取り返せ!
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