中国の方が書く論文について胸を痛めていること

 大学教授なんて仕事をしていると、いろんな人の「論文」に出会う。最近、いろいろな国の人の論文を見ていると、国別にちょっと傾向があるように感じている。特に中国の方*1の「論文」なんだが、問題だなーと思うことが多い。
 で、ちょっと胸を痛めているので一つだけ指摘しておきたい。


 中国人の論文には、根拠薄弱な価値評価が多い傾向があると思う。
 例えば、誰かの価値評価をそのまま引っ張って、自分の評価にしてしまっているもの。頭痛。
 根拠なく、突然断定的に評価がでてくるもの。顔面蒼白。特に、これは言葉に酔ってしまっているというか、ある言葉が出てくると、検証無しに肯定評価になるものがある。こういう陶酔的な言葉として代表的なものに、「高度」*2、「先進」*3、「科学的」*4がある。確かになんだかいいことのように思えてしまうのはわかるし、同じように突然ガバチョと肯定評価で言い切る日本人も多いから、別に中国人に限った話ではないかもしれないが、やっぱ駄目なものはダメっしょ。こういう言葉は無限定には使わないのがいいね。うん。


 こういう論文を見ていつも思い出すのは、中国の政治家の講話である。もう、こういう修飾語とのオンパレード。それを朗々と詠唱し、みんな大拍手〜♪というのが、政治会議なんかの図のようである。
 政治家はそれでいいかもしれないが、論文でそれはいけない。


 しかも、ひどい論文になると、中身はそんななのに、きれいなパワポだったり、分量が分厚かったり、そんな形式面で勝負しようとする。絶句。中身がある3ページの論文は、中身がない100ページの労作に勝る、と僕は思う。むしろ形式で努力点を狙うなんて、見識を疑うでよ。うん。
 思い当たる人、猛省してください。(これは日本人でも同じ)



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*1:学生も含みます。

*2:何が高度か説明無しに出てきておまけに肯定評価。

*3:最先端ならいいわけではないのになぜかいつも肯定評価。

*4:僕の感じからすると、日本語で言う「合理的」に相当する言葉のようである。ただし、それがどうして絶対的肯定評価かよくわからんが。