ものづくり大国、とは・・・

 昨日、とある高校で、長い自己紹介をしていたです*1。その時、やはりそうか、と、確信したんですが・・・


 日本は先進国でありたくないんだな。


 先進国であるということは、世界初のもの(商品でも、サービスでも、ビジネスモデルでも)を生み出し続けるということです。人の能力が突出して優れているのでなければ、そこでは、能力がありおまけに成功した人間と、そうでない人間が生まれます。前者をなるべく増やそうと、そこにはインセンティブが設定されます。資本主義体制下ではこれは金銭ということになるので、結果的に、格差は拡大し、中産階級はだんだん階層分化していきます。もちろん、国家としてはこの階層分化が人的資源の適正配置阻害要因になってはこまるので、人的資源の拡大再生産をめざし、主として教育分野での格差是正(公教育の充実や奨学金の充実など。英米仏と異なり、日本を含め、第二次産業革命以後の国家経済成長政策を採った国の最高学府が軒並み国立であるのは、こうした事情によります。)に腐心します。
 一方で、産業構造も変革せざるを得ません。ものを作るということは、開発と複製(生産)からなります*2。開発内容が高度=精密になればなるほど複製も精密さを増し、また複製に当たっての品質の均一化などの要請から、この複製段階はどんどん機械化されていきます。先進国になると人件費もそうとう高騰していますから、機械化するだけで全体コストが低減できる(かも)というのも、経営が生産の機械化を進める大きなインセンティブになります。したがって人材配置は次第にこの生産から開発や関連サービスへと移行します。ところで、最近のIT化というのは知的単純労働の機械化にその本質があります。したがって、関連サービスといっても、オフィス内単純事務処理作業はこれまた縮小せざるを得ないので、やはり開発とか、機械化できない力仕事などのサービスに行かざるを得ない。
 上記の産業構造の変革の結果、これまで、開発型の仕事をしてきた人は開発系の仕事*3に、そしてオフィス内であれ工場であれ定型的作業をしてきた人材は関連物理労働*4に再配置されていきます。残念なことに、日本の「正解追随型教育」を受けた人材は、後者への特性が比較的高い。そこで、後者は他の国から見てもおそらくはより高い水準での競争にさらされ、需給バランスによって給与は比較的低い水準に留まることになります。開発型の仕事に移行できた人も、その成績によって収入は大きく分化します。こうして定型的な仕事に留まったがために低賃金になった人と、開発型の仕事を選んだのだけど低賃金になってしまった人*5が比較的低所得層を構成し、開発型の仕事を選んで成果を上げた人とのコントラストが強くなります。いわゆる格差社会現象です。
 ここで低所得層の暮らしを支えるのが、海外の安い物品です。産業構造がここまで高度化すると、おそらくは、それまでの発展過程で外貨や資産をため込んで物価格差が大きく生じています。したがって、高物価国の中では貧乏でも、それは低物価国では富裕層に匹敵する収入水準になる。そうして低物価国の生産物を大量に輸入することで、高物価国の低賃金労働者は生計維持が可能になるわけです。


 この国民間の労働内容バランスを変えられないのであれば、シナリオは二つです。
 一つは、もう一度中進国に戻ること。海外の生産への依存は、結果的にさらに高物価国の低賃金労働者の収入を圧迫し、いつの日か海外からの輸入品すら買えなくなります。これが底となり、却って生産行為は高物価国の国内に戻ってきます。しかし、これは逆に言えば、高物価国から低物価国へのシフトが起きていることでもあるわけです。つまり、先進国から中進国への後退現象が起きるわけですね。
 もう一つのシナリオ*6は、いわゆる帝国主義的政策を採ること。つまり、国内の資本力を使って海外の産業体=企業を買収して、意図的にその国の生産から発生した利潤を金融経済を通じて自国に移転させること。これにより自国に安い物品を提供してきた低物価国はどれだけ働いても収入はあまり好転せず、挑戦者である地位に縛り付けられます。こうした企業の活動を通じ(例えばそういう企業が無駄な雇用を国内でしたり、無駄に多額の給与を社員に支払い、それが国内市場に出回ることで景気が維持されたり)高物価国の経済は比較的安定な活動をします。
 もう一つ、そもそもそうした国内の労働内容バランスを変えるという政策があります*7。といっても急に国民の能力を向上させたりできないので、逆に、世界中から能力がある人材を国内に呼び込んで、「国民」というより「住民」という意味での労働内容バランスを調整することが可能です。
 これらの三つのシナリオは、別に絶対背反するものではなく、ある程度のミックスが可能です。
 また、後二者のシナリオは、どうしても調整に限界はあるので、国内の労働内容調整はある程度しなくてはならないし、低物価国からの挑戦にもある程度負けざるを得ないし、何より国家経済を引っ張る各主力企業はどちらかというと製造から金融へ、開発へと業務内容をシフトせざるを得ないし、ということになります。


 さて、安倍政権に入ってものづくりがまたにぎやかです。もちろん、格差社会論も。
 そんなわけで、日本のリーディングカンパニーが「ものづくり」を謳い、政府が単純に格差社会の是正を謳うのは、とても変なことのように僕の目には映ります。いや、安倍さんは「格差そのものは間違ってない」と言い切ってくれているから、謳っているのはメディアか。いずれにしても、この風潮はなんかおかしい。


 僕の考えでは、日本が先進国であろうとするなら、そして他国を食い物にしようとか、外国人人材にも依存しないぞと思うなら、ものづくりで国を興し、そうした人材が延びて格差社会が緩和されるというシナリオは、唯一、通貨価値下落によって日本が先進国から中進国に戻るということにおいてのみ可能な意見のように思います。確かに、もう一度昭和30年代に戻れば、それなりに活気づくからそれも一つの道なんですが。ただ、僕は、我が国が経済発展することを通じて、国民生活がもっと幸せになる、という考え方をずっと抱いて成長し、仕事してきたので、このシナリオは少々残念ではあります。
 多分、日本人は先進国になるためにものづくりをしてきたのではなく、ものづくりが楽しいから極めてきたら、先進国になっちゃっただけなのかもしれません。先進国になるなんて、余計なことなのかもしれません。
 それも一つの価値観です*8


 しきしまの ものづくりして 時もどる


 日本人の謎が解けたような気がしたので、ちょっと前進。




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*1:社会人講話、というやつ。社会人が自分のしてきた悪行や善行を洗いざらい若者の前で白状するという、行のようなイベント。

*2:複製コスト(又はその限界費用)がほぼゼロになるものがコンテンツ産業です。

*3:企業経営、商品開発といったものです。自営業はこちらにかうんとされます。

*4:いわゆる単純労働です。マニュアルがあって、それにそって行えばよいという仕事は、原則こちらになります。

*5:この人は成功する可能性もあるので、生涯賃金としては、単純労働低賃金労働者よりは高くなるはず、です。あくまで「はず」ですが。

*6:僕は、これは欧州がよく志向する傾向だと思っています。

*7:僕は、これは米国に特徴的な傾向だと思っています。

*8:産業のインセンティブは経済学が予定している金銭的なものだけではないということは、コンテンツ分野をその筆頭として、様々なミクロな観察が示しています。そういう意味では、先進国になるために云々という僕の考え方自体が、経済学に毒された幻想だったかもしれないのです。