チンギスハーン物語のむずかしさ

 意図的に、仕事とはちょっと違ったことを書いてみる。
 映画「蒼き狼〜地果て海尽きるまで」を見た。誤解を恐れずに言えば、駄作である。
 駄作と呼ぶにはいくつかの理由がある。新人Araを始め、主役級や重要な配役に見るに堪えない演技が多い。ストーリーの軸がぶれており、まとまりがない。それゆえか、台詞の一つ一つが繋がりを欠き、とても不自然感である*1。作品が長すぎて中だるみがする。こうしたマイナス点が、戦闘シーンやモンゴルの雄大な天地というプラス点を大きく超えて作品の足を引っ張っている。


 だが、それ以上に、そもそもチンギスハーン物語は難しいということを、製作者は考えておくべきだった。それはモンゴル帝国のことを少しでも知っていればわかる。
 モンゴル帝国は、ユーラシア大陸の大部分を支配した大帝国である。モンゴルやその後継を名乗る政権*2を含めれば、それこそ中央ヨーロッパ以西と太平洋西岸を除けばユーラシア大陸のほぼ全土がその支配に服している。それがモンゴル帝国創始者としてのチンギスハーンに対する興味をかき立てる根幹である。
 しかし、この意味でのモンゴル帝国とチンギスハーンの物語の間には大きな隔たりがある。
 歴史的に、狭義のモンゴル帝国*3の歴史には、少なくとも4つの時代区分が可能だと思う。まず、第一期がモンゴルの統一。これこそまさにチンギスハーンの物語である。次に、第二期の世界制圧。西はホラズム・シャー国、東は金と西夏という二大国を制圧する闘いに始まり、西方ではワールシュタットの闘い、アイン・ジャールートの闘い、東方では日本遠征などで終わる。この段階は、チンギスハーンの時に始まり、三世代にわたって続く。その次が、第二期と一部かぶるが、第三期というべき帝国の分裂。中国地域に拠って帝国の中心を任ずるフビライ中央アジアに拠るアリクブケ、ハイドゥの対立による帝国の分裂は、潜在的には第二代から、形式的には第三代から第四代にかけて続く。最後が第四期、帝国の連合政権化とその消滅で、分裂の後の各汗国(と大元)がそれぞれの地域に土着し、民族政権に取って代わられる時代である。
 チンギスハーンとモンゴルに対する興味としては、ここでいう第二期がなんといってもハイライトなのである。ところが、チンギスハーンは、そこにはほとんど関与していない。これがチンギスハーン物語が駄作に終わりやすい理由だ、と僕は考えている。
 例えば、本作では、イェスゲイとチンギスハーン(テムジン)の確執を、チンギスハーン(テムジン)とジュチとの確執に重ねている。しかし、その連鎖に終止符を打ったのはジュチの子、バトゥであり、軍事的、政治的にもヨーロッパ遠征など重要な戦線を指揮してまさにモンゴル帝国の柱として君臨した。しかし、バトゥの闘いは、チンギスハーンの物語とは重ならない。
 つまり、モンゴル帝国に関心を持ってチンギスハーンの物語を聞くというのは、たとえて言うなら、アレキサンダー大王に興味を持って映画を見たら東方遠征に行くところで終わってしまったようなものだ*4。もう少し近いところでは、イスラーム帝国の物語を読んだら、ムハンマドの死去で話が終わってしまった*5ようなものだといってもよい。確かに、それは全体の歴史の出発点となるとても大事な一時期ではあるのだが、その後の展開に比べて、あまりにも地域的で、あまりにも特殊*6で、確かにドラマチックでないかといえばドラマチックなんだけど、まぁそんなことなのだ。要は、チンギスハーンに興味はあっても、いざ見てしまうと、そのあまりのちまちました内容に、関係者はドン引きしてしまうのだと思う。


 そういうことを念頭に置くと、例えば本作では語り部をチンギスハーン(テムジン)の母、ホエルンに託しているのだが、別に耶律楚材やバトゥのような第二期で活躍する人物としてもよかったのではないかとも思える。もっと下がって、ラシード・アッディーンや、ひょっとしたらティムールにしてもよかっただろう。要するに、第二期以降から回想的に第一期を描いた方がよかったんでないかな?ということなのだ。


 映画は商品であり、商品は半分以上、受け手のものである。
 そのことを、作り手=クリエータは常に意識しなくてはならない。また、製作者=プロデューサはそれをクリエータに意識させるのが仕事の半分なのだ。角川春樹氏はクリエータとしても有能であることは言を待たないだろうが、逆に言えば、プレイング・マネージャの危険性をこの作品はまたも示唆しているように僕には思える。




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*1:本来は紀伝体的が馴染むストーリーを無理矢理編年体で表現したような感じを僕は受けた

*2:インドのムガール帝国など

*3:黄金氏族、或いはチンギス統による政権を指す。ここでは世界帝国としてのモンゴル帝国を指すことにしたいので、中央アジアの遊牧地域を別にすれば、だいたい1368年の元の滅亡で終わると考えてよいだろう。もちろん、中央アジアの地域政権でよいのであれば、北元から近代にまでその流れは続くのだが。

*4:フィリッポス2世とアレキサンドロス3世がギリシア諸ポリスをまとめ上げていくストーリーは、その後のハハマーニシュ朝ペルシアとの戦いやインド遠征といった事柄に比べて、とてもちまちましている。

*5:イスラーム政権が一気に歴史の表舞台に登場するのはサーサーン朝を滅ぼして西アジアの覇権を獲得する時だと思うが、その契機となっているネハーヴァンドの戦いがあったときはすでに第2代カリフ・ウマルの政権になっており、その10年も前に使徒ムハンマドはこの世を去っている。

*6:「普遍」の対語としての「特殊」。