新しい議員宿舎を公開した件について

昨日、電車に乗っていると、50代の女性同士がこんな会話をしていた。
「ほら、なんとか太蔵っているじゃない?インターネットで当選した若造の。あの議院宿舎に入るらしいんだけど、記者から入るんですか?って訊かれて、問題ありますか?っていったのよ。ばっかよねー、問題あるから聞いてるわけじゃない?」
「そう?」
「まったく、10万円くらいであんな一等地にマンション貰えてねぇ、公団(住宅)でも高所得の人はそのくらい払っているわよ」
「あれ、だいぶ空きが出ちゃってるんですって?空いたところに民間の人入れればいいのに」
「そんなもの作るお金があったら、公団住宅もっと作ってよ」
・・・う〜ん、下町だなぁ。



細かいところは放っておいて*1、重要なところは「問題ありますか?っていったのよ。ばっかよねー、問題あるから聞いてるわけじゃない?」という行だ。


まず断言する。法的問題はない。
自由社会では、人が互いに干渉してよい「客観的基準」は、各種の法として存在すべきである。言い換えれば、法が問題にしないのであれば、それはいわば「趣味の問題」であり、おおやけな問題にはならないのだと思う。だから、問題はない。
逆に、記者が訊くということを問題があることの証左とする考え方自体、極めて根拠が薄弱である。正直言って、頭痛がするほど非論理的である。


しかし、だ。
法的次元ではなく、政治的次元の判断として、新宿舎に金をかけるより公団住宅に投資せよという意見は一つの見識である。
報道によれば、新宿舎を公開した理由は、世間での批判*2を踏まえて、理解を求めるためだというが、残念ながら、批判は強まるだけだろう。
都心の一等地に3LDKをかまえて家賃10万円というのが市価との関係で如何に優遇されているか、政治的センスとしてはとても鈍いといわざるを得ない。空きがあるなら民間に貸せ、というのも、ごくまっとうなセンスであるように感じる。
政治センスとしては、下町のおばちゃんの方が、国会の事務方よりも鋭そうだ。


資本主義と市場経済の求めるところにより、今後、経済格差は以前より拡大する。それに伴い、役人であれ、政治家であれ、いわゆる社会的地位に起因する「特権」は今以上に世間の指弾を受け、縮小せざるを得まい。
いいではないか。収入(終身雇用に基づく社会的経済的信用を含め)が多いのだから、自弁すればよいのだ。個人の資産の配分として何をどう買おうがそれは個人の問題だが、それを職場からの支給として受ければ個人の問題では済まされない。法的次元では何ら問題がないかもしれないが、少なくとも政治的次元の問題は生じるだろう。


役人は他人に自己評価を任せず、何があっても最後は制度的に認められた自己評価システムで問題を無視したり甘い処理をすることで、逃げおおせようとする傾向があることは否めない。だが、まだ役人である私は、それには満足したくない。私は、こういう市井の政治感覚は持っておきたいと思っている。そう改めて思ったことは、一つの前進だろうか。



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*1:杉村太蔵はインターネットで当選したわけじゃない。ま、そこんとこは「若い奴」=「ネット」という思いこみと笑って済ませられることだ。

*2:もちろん、政治的次元での批判だ。法的には問題がない。