経済産業省を誉める

先ほど、ブロードバンド協議会のシンポジウムで講演してきました。結果?成功ですよ。何より参加者の皆さんの笑いがとれたのが良かった。嬉しいです。
最近、セカンドライフ絡みの講演や原稿が相次いでいる。やや食傷気味ながら、経済や法の話を根幹から積み上げてリアル空間の現実との対比やそのブリッジングのようなことを考え、語るのはとても楽しいことでもある。ふわふわバブッたブームにのっただけのスピーチはする気がない*1けど。


で、今、名刺を取りに研究室に帰って、ちょっとウェブを見たら、すごいことになっていた。
ITmediaの報道だが、経済産業省が、PSE法について、法制定時と本格施行時にミスを犯したことを認めている。本庄審議官、俺はよく知らないし、喋っている顔はやや困り顔でなんなんだが、漢(おとこ)である。立派!


PSE問題について経済産業省の対応がおかしいことについては、すでにこのブログでも書いていた。その時は、まさか組織が懺悔することはないだろうと思っていたが、それをした。凄いことだ。これは、称賛に値する。
政府の問題のかなり多くの部分は、過去に起こした問題を間違いと認められず、それを修正する口実に新しい(そしてしばしば元の問題よりもおおげさな)理由を用意しなければならない点に求められる。間違いを認め、それを修正し、進化できる政府というのは極めて合理的で、理性的なあり方だ。いや、よりよくできるという自信がないとできないことである。
重ねて言う。これは凄いことだ。


ここで、「なんだやっぱり間違いだったのか」とけなし、非難することは簡単だ。しかし、それをすれば、こうした前向きな態度をとった組織や役人を殺すことになる。思い出すのだが、薬害エイズ訴訟で、問題のファイルがあったと公表した厚生省を「正直によく言った」と誉めずに、世の中は「やっぱり隠していたか」とけなした。その後、厚生省が同様の態度をとることはほとんどなかった。役人といえども人間である。人は、誉めてこそ伸びるものだ。正しいことをしたら、少なくともその限りにおいては誉めなくてはならない。ジョージ・ワシントンの桜の木の故事*2を思い出すべきである


少なくとも、僕だけは誉めよう。親元だからといって僕が経済産業省を誉めたりしないのは、このブログを読んでもらえれば明らかだ(というか、むしろ経済産業省には厳しい見方をすることの方が多いと思う)。その僕が誉める。


できれば、これを読んでいる人達は、自らの過ちを認めたという点において、それだけでいいから、経済産業省は立派なことをやったと誉めて頂きたい。心からお願いする。
こういう心持ちで、友人の結婚式にこれから行けるのはとても心嬉しいことである。こういう日もあるのか。




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*1:リンデンダラーの通貨としての性質や問題に関する部分で、常に最初の紙幣発行国家としての元(モンゴル帝国宗家)のことを持ち出すのだけど、「モンゴル帝国は見事に紙幣乱発でハイパーインフレを起こして滅亡する国家第一号という名誉ある地位になったわけです」というところでなぜか笑いがとれる。当たり前のことなのだが、それが面白く思ってもらえるのは、何でもかんでもヨーロッパ(とその延長のアメリカ)が中心という考え方に永く違和感を感じていた者としては、とても嬉しいことだ。

*2:故事というのは実話ということだが、これはフィクションだという説があるらしい。残念。でも、ストーリーとしての価値は変わらないが。