藤原清衡って、マジすごくねー(シブヤ口調で)

 秘密でもないだろうから書いてしまうが、永井豪先生の記念画集への寄稿を依頼された。そりゃまぁ嬉しいの嬉しくないのって。おまけに、打合せにダイナミックプロへ伺った際に、永井先生に直接お会いすることができた*1。大学教授なんというものになってよかったと、学生との交流以外に、始めて思ったネタである。うんうん。




 友人の吉見@今テレ朝くんが、村上龍の「半島に出よ」の読後所感(って上巻だけだけど)を書いている。僕は上下先日読んだのだが、う〜ん、まぁまぁでした。
 それよりも、この夏はまっていたのは、高橋克彦の奥州シリーズなのだけど、やはりなんといっても「炎立つ」はよい。幾度も読み返している。


 「炎立つ」では、前九年の役後三年の役奥州合戦の3つの戦争を扱うが、なんといっても前九年の役の方に焦点が当てられていて、その主人公である藤原経清がいくども奥州武人のモチーフとして繰り返し登場する。確かに当時の記録を見ると、国府源頼義の下を離れて以後、国府以上に奥六郡を掌握し徴税までしてしまったりするあたりに、単なる田舎侍ではない統治力、知性と資質を感じる。
 だが、それ以上に、分量でいえば第4巻、一巻分しかないのだが、やはり、藤原三代の初代に当たる清衡の一生に絶句する。親父が戦で殺される。その敵の家に、嫁ぐ母親も母親だが、そんなわけで清衡は清原家で敵の子として成長する。長じて、今度は*2兄と叔父・弟との戦に巻き込まれ、兄が急死したからよかったものの、危うく死ぬところまで追いつめられる。そこに親父を倒した仇敵の一人、源義家が現れ、これになぜか目をかけられ*3て、兄の旧領分配で美味しいところをもらう。と、こんどはやっかまれた弟*4に襲われ、家族皆殺しで自分一人生き残るというところにまで追い込まれる。そこで仇敵・義家と結んで反撃を開始し、これまた一度は大敗するが、結局盛り返して弟も叔父も滅ぼし、清原氏を滅ぼすというか乗っ取るというか。最後の締めくくりに、自ら「藤原」に復姓してみせるわけだ。壮絶・・・、である。
 高橋克彦の筆力のせいもあるのだろうが、やはり、奥州藤原氏は面白い。源氏や平家にない、辺境*5もののふとしてのドラマがある。すごい。奥州に行ってみたくなる。
 なお、高橋氏の他の作品では、「火炎」も面白い(ちょっと補足部分が多すぎてフィクション過ぎる点は欠点だが、面白いことは面白い)。「天を衝く」はあまり面白くなかった(やっぱりラスボス(笑)が豊臣秀吉ではなく秀長だというのが今ひとつ、である)。


 余談だが、藤原清衡の一生を見ると思い出すことがある。
 僕が若い頃「51番目の州、日本」という話があった。日本が米国に併合される。51番目の州、日本は米国社会の中に緩やかに融けていく。米国の人口構成は1億人以上のアジア系人口の合流を受けて大きく変化し、やがて白人は少数派に転落する。そうしてついに、日本併合後数十年にして日系大統領が誕生する。彼は宣言した。「米国は、国号を、日本とする」。併合は、日本による米国乗っ取りのための作戦だったのだ。
 ・・・って、似てるよね、モチーフが。





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*1:これは04年のゆうばり国際映画祭のホテルの風呂場でお見かけした以来のナマ永井先生である。

*2:法的な意味で

*3:炎立つ」では、実は源義家藤原経清を尊敬していて、やや汚い手を使って戦に勝った上、無惨な殺し方をしたことを後悔していた。そこで罪滅ぼしの思いもあり、経清の遺児である清衡を支援したとなっている。

*4:こいつは異父弟である

*5:あくまで京から見たら、ということなのだが、なにせ今の政権は京の流れを汲むのでしょうがない言い方かもしれない。でも、奥州には奥州の視点があることを忘れていいものではない。