思いもよらず長文になって困った今日のカキコ

年末に入っても書くべき原稿の数は一向に減らず、というか、増えてんじゃん!何の因果か学者をやってはいるものの、作家に転向した気はないのだが。


それはさておき、書きたいことが溜まったので、ざくっとコメント。



一つ。今年の10大ニュースというのをいろいろなところで訊かれる。コンテンツ分野だと、やれニコ動だとか、情報通信法構想だとかいろいろあって、それはそれぞれのところで見てもらえばいいのだが、タイミングの関係でかそれには永久に入らないだろうからここで書いておきたいことがある。コミックガンボの挑戦と敗退である。
コミックガンボは、国内初*1の無料週刊マンガ誌。僕もうなったのは、まずクオリティ。連載陣に江川達也などきちんとした人をそろえているし、僕の知らない名前の人でも中身としては納得できるものが多かった。次に、グラビア。クオリティはともかく、グラビアをきちんと入れていること自体に驚いていた。旧作を再掲したりと、苦労していた跡はある。しかし、そんなのかんけーねー。既存の週刊青年マンガ誌のスタイルを踏襲したものを、一応の品質を満たし、無料で発行できたこと自体がすごい。
ビジネスモデルについて、いろいろ予測してはいた。基本は広告モデルだろうが、せいぜい雑誌頒布でトントンかどうかだろう。後はコミック売り上げだろうし、おそらく作家には、低い雑誌原稿料と、高い単行本配分率を提示していただろう。中でも一番興味があったのは、単行本に一定数発行保証をつけていたかどうか、それと出版プロジェクト自体の収支が単行本収入を前提にしていたかどうかである。これをヒアリングしたいなーと思っているうちに、ガンボは沈んだ。しかし、学者として、また政策を考える者として、僕はその顛末を明らかにしておきたいと思っている。




一つ。「ダウンロード違法化」へのカウントダウンが始まっている。反対活動については、偉大なるジャコバン砦であるMIAUががんばっていて、シンポジウムなんかしたりするらしいので、そちらを参照してほしい。
まず、この問題について、僕が反対であるのはいうまでもない。理由は、皆さんご指摘の通り、アップロード違法化とほとんど効果がダブるからだ。P2P云々という理由は、P2Pソフトを使っている人はダウンロードしながらアップロードしているヤツがほとんどなわけ*2で、アップロードしている部分の違法性でものごとを処理すればよいのだから、こと法的論理についてはダウンロードを重ねて違法化する意味がない。
おそらく、これが意図しているものは、ダウンロードしている人に対する萎縮効果*3なんだろう。しかし、そこに僕は大きな危惧を持っている。それは、社会的機能としての法律の安定性に大きな問題をはらみ、それはいわゆる憲法学上の人権論の基本である自由権の根幹に直結していると思うからだ。
法の萎縮効果とは、いうまでもなく、「ある行為が違法化されたことで、それが実際に処罰されたかどうかとは別に、社会的にその行為が行われなくなること」である。(コメント欄参照)刑事法学上の一般予防効果とほぼ等しいと思う。「ほぼ」というのは、ここで、その違法行為の処罰率を問題にしたいからだ。一般予防というのは、そのルールが貫徹されるという期待によって生じる効果で、それは僕も認めたいと思う。しかし、処罰率が低かったり、まだらだったりするとこの一般予防効果は極端に減る。そして、時として、それはいわゆる別件逮捕に使われる引っかけになることもある*4。検挙された人々は、「運が悪かった」と思うだけで、さして違法行為の数は減らない*5。ルールは本来貫徹されるべきものであり、それができないことを承知の上で作られるルールは、ルール、つまり法そのものに対する不信感さえ生みかねない。検挙しきれないルールは本来作るべきではない、ということだ。
先日取材を受けた「マンガ論争勃発」が出版されたが、その時も問題にしたのだけれど、最近、民主政治が変なルールを多数生み出しているような気がしてならない。90年代後半以降、様々な思想信条を持つ人々がNPOなどの形で結社化して、政治化している。それ自体は、政治参加の強化として、素晴らしいことだと僕は思う。でもね、ここからが重要だよ。そうした運動は、自分たちの体現したい価値を自分で実現することではなく、それを制度として国に押しつけ、国のコストで実現することを目指すのがほとんどなんだ。そして民主化という素晴らしい理想を受け止めた政治家や政府官僚が、その意見を飲むことがある。法律を作ることは官僚の仕事の一つであるので、正統性があれば法律は作りたがる。道路工事で掘って埋めてまた掘る*6のと同じだ。そうして、政治の「旗」としての意味しかない空虚な法律が生まれてくる。さすがに行政もそれを貫徹するコストを理解しているので、たいていの場合は使われない法律になる。そのことの効果は、もう書いたように、法制度そのものの信用失墜である。
これを防止する一つの方法は、意見を表明することだ。サイレントマジョリティはすでにマジョリティではない。岡本薫先生の言うように、合意は民のレベルで作るのであり、民の各部分同士が闘わねばならないということなのだ。だから、ジロンド派である僕もMIAUを期待の目で見るわけだ。
そこで最後にダウンロード違法化を締めくくるわけだが、結論として二つのことを言おう。
ダウンロード違法化には実体として反対だ。あまりにも普通の行為をあまりにも真面目に抑圧しようとした禁酒法と同様、そして今でも別件逮捕の根拠として批判の強い軽犯罪法と同様、これは我が国の法的安定性を損なう。
ダウンロード違法化の立法化を「推進する」ことに、手続き上の問題として、反対だ。パブコメの結果が反対多数であることの意義は大きい。審議会は少数有識者の結論であるので、違法化推進でもよい*7。しかし、ここで政府文科省としては、両論併記で国会に是非を問わねばならないだろう*8。同時に、これが違法化できてどのくらいの違法行為補足が可能かということをきちんと論じなくてはならない。すべてを選択肢として公平、平等に提示した上で、国会の裁可を仰ぐことが憲法の要請であると考える。
堅くいうと、そういうことだ。


あー、書きたいことはまだあるけど、時間が無くなった。時間できたらまた書こう。




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*1:イザの記事によれば、そうなんだと。多分、海外では例があるのだろう

*2:右から左へ受け流すだけでも、違法ではある。利用者はもらってるだけと思ってるかもしれないが、それがアップロードにも荷担しているのがP2P。ただより高いものはない。

*3:これをチリング・イフェクトとカタカナ英語で書くことにほとんど意味はない

*4:神戸を本拠とする菱の代紋の親分がかつて検挙された時、罪名が著作権法違反だったことは結構笑える、それいでいて笑えない話だ

*5:実際には、その度毎に見せしめ的検挙を行ったりして、ルールが貫徹されているフリをすることになるが、所詮それはフリだ。

*6:だったらいっぺんにやれや、という理屈は通じない。彼らは掘りたいのだ。惚れるものならば。

*7:審議会にとってはパブコメ意見は参考に過ぎない。委員が賛成多数なら、賛成でよい。委員にパブコメに遵う義務はない。

*8:審議会がパブコメに遵う義務がないのと同様、政府は審議会意見に従って、その言うとおりに仕事をする義務があるわけではない。天の声も、時には変なことがある。