PCの時代の終わり、なんだろうね(CES、その2)

CESを見ていて一つ気がついたことがある。それは、ConsumerElectricShowだからかもしれないが、PCがコンテンツ視聴デバイスとしてみなされなくなったことである。
3年前までは、PCの存在感はとても大きかった。新しいグラフィック、新しいチップセットが消費者に素晴らしい体験をくれるものとして展示されていた。今、そうした見方はほとんど無い。映像は、デジタルテレビで見る。PCは無視されるか、せいぜいが家庭内サーバーに映像を貯めるためのゲートウェイとして捉えられているに過ぎない。
昔、アクトビラに至るIPTVを経産省内で提唱するとき、天秤は、PCとNon-PCはデバイスとして全く切り分けるべきだといっていた。そして、PCとNon-PCは、ユーザーがプログラムを「自由に」インストールできるかどうかで区別する*1のだと説明していた。不幸にして、幹部を始めほとんどの人には理解されなかったようだが*2、今でもその考えは変わらない。
Non-PCデバイスが、今、恐ろしい勢いで、このコンテンツ視聴という分野に広がっている。STBもそうだし、IPTV機能付きデジタルテレビもそうだ。iPodなどのシリコンプレイヤーはこの分野の好例だし、その後をiPhoneやその他の多機能携帯電話が追っている。
もうじき、一般の人はネットを利用するためにPCを使わないでいいようになる。
そのことを天秤は感慨を持って受け止めたい。
PCは、PCを使うに足る情熱と覚悟があるものが使えばよい。PCの自由さは、それがない者には危険ですらあるから。一般人がAT車にのるようになったためにMT車を車好きが独占できるようになったように、一般人がNon-PCデバイスで十分ネット環境を利用できるようになったためにPCはコンピュータ好きが独占できるようになる。そうして初めて、PCの自由度が社会に及ぼす悪影響は制御可能になるのではないだろうか?
MSがまだOSなんて作っていなくて、ROMに焼くBasicを作っていた頃からの、こけむしたPCファンの戯言かもしれない。気に障ったらゴメンけど。
でも、PCの時代は、確実に過ぎ去ろうとしているんだよ。多分。




.

*1:好例はiPhoneかもしれない。iPhoneが示すように、Non-PCデバイスといえども中身はコンピュータで、ただ、ユーザがインストールできるプログラムは何らかの方法(iPhoneならiTunesストアとiTunes)でスクリーニングしているわけだ。これを嫌うユーザはunjailするわけだが、これはNon-PCデバイスをPC化する作業だと言える。

*2:それでも、大きな会社の偉い人がIPTVだよというと、役所の偉い人もIPTVだよなぁといいだして、結局、IPTVを生みだそうプロジェクトができてしまうのが不思議なところだ。 天秤の説明が悪かったのに、とりあえず話しは進んだのだから、これは歓迎してもよい不思議だったが。ただ、ある大きな会社の偉い人がPC好きだという理由で、PCに対抗するためにNon-PCという言い方ができなかったのは、その副作用だと思うから心中複雑なんだけど(苦笑)