「粋」な民主主義ってやつ?


 笑いは世界を救う、と天秤は思っている節がある。あらゆるものは多面的であり、やもするとタブー化されてしまう事柄を打ち破る力が笑いにはある。
 だからだろうが、「笑わない人々」がいる。笑わずに、怒る。
 これを世の中では無粋という。無粋は軽蔑の対象と考えて良い。


 「ヘタリア」が放送中止になったそうだ。理由は「諸般の事情」だそうだが、同番組に韓国から大きな反発があったことは報道で知っており、まぁこれが理由なのだろうと思う。
 「韓国」の書かれ方についてはここでいちいちつまびらかにしたくない。だが、そもそも番組では「韓国」登場はなかったようだし、少なくともこれだけ反発があればこれから「韓国」を出そうとは思わないだろうから、「韓国」の描かれ方に反発してアニメ放送反対運動をするのは論理的にあわない。どちらかというと原作作者に創作反対運動をする方が、まぁスジにあっている。
 だが、これはあまりに無粋だ。
 あまりに反対運動が凄かったので天秤もサイトを覗いてみたが、まぁ普通は「イタリア」が怒るのがスジというものだろう。主役級が怒らず、脇役の端が怒るのは、かなりイタい。昔の番組を歌番組を放送するとき、司会者や歌手ではなく、伴奏するバンドマンが肖像権を主張して放送中止を主張するのと同じくらい、イタい。


 他方で、これまた「細菌列島」という映画の公開がアナウンスされた。こういうパロディ作品は天秤は大好き*1なんだが、こちらでは思いっきり●正日さんが揶揄されているようである。
 しばらく様子を見てみないとわからないが、たぶん、金●日さんや関係者の方、或いは朝鮮民主主義人民共和国関係者の方からの反対運動は起きないと思う。


 気をつけなければならないと常々思っているのは、私たちと「国」との距離感である。市場経済環境は、人々の欲望を喚起することで消費を促進するが、多くの場合それは入手できない結果となり、挫折を生み出す*2。挫折した欲望を直視できない心の痛みを、自らを自分を包含する「何か」と重ね合わせることで、「何か」に欲望を代理執行してもらうことで緩和するということはしばしば行われる。その「何か」には、例えば自分が勤める会社とか、自分の母校とかいろいろあるが、もちろん「国」もその一つである。
 だから「国家主義」は、民主主義的体制の下で、しかも中産階級に共通の挫折が起きるときにこそ起きやすいという歴史の逆接がある*3
 天秤はまさにこの民主主義的体制を享受するいち中産階級市民なので、こうした「へたれ国家主義」には巻き込まれちゃいけないと常々考えている*4。悲しいことに、こういう思いの蓄積で本当に「国どうしの関係」が左右されるところにどの国家も来ているのであって、だから国家の政策もこういうメカニズムから十分距離を置くべきだと思っている。
 韓国は巻き込まれているようだ。その北の国は巻き込まれていないのだろう。


 市場経済そのものの中に、商品の貴賤という考え方はない。せいぜいあるのは、市場が受け入れない商品を作ってもビジネス上のコストが上がって損をするから、そんなものは作らないようにしましょうということだ。天秤は、この考え方を支持している。その方が自由でよい。
 だから、あまり「不買運動」というのは肌に合わない。
 もし天秤なら、ヘタリアの放送中止運動をするより、日本を揶揄するアホアニメを作るだろう。そういえば、日本で一時期話題になった「嫌韓流」というのがあったが、韓国では逆に日本を揶揄する「嫌日流」みたいなマンガを制作したそうだ。それこそ「粋」な反対運動というものである。もしその出来が良くて、日本でブームになるくらい面白かったら、それで日本を買えることだってできるのではないか?マンガでなくても、TVドラマでも、映画でも良い。ペ・ヨンジュンは本当に日本のおばさま達に愛されているのだから、条件は整っているはずだ。できるのに、なぜ今回はやらない?


 「パロディ」、「笑い」は民主主義が健全であるための一つの装置であり、民主主義の限界である。「パロディ」の仇は「パロディ」で返さなくてはならない。それを民主主義的暴力装置で封殺してはならない、と天秤は考えた。


 最後になったが、そういう意味で、「ヘタリア」の放送中止に天秤は憤り、嘆息している。



P.S. 「ヘタリア」の放送中止が反対運動のためでなければ、この項は誤爆である。予め陳謝しておく。




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*1:日本沈没」は見ないで、「日本以外全部沈没」の方だけ劇場で見たとかいうこともある。

*2:欲望の対象となる事物、財の性質によって、「買えない」、「できない」、「なれない」、いろいろな形態があるけれどね。

*3:ナチスドイツがドイツで深く反省されているのはこのメカニズムが理解されているからであると天秤は思う。東アジアではナポレオン以前から民族主義に根ざした国家主義が存在していたから、ちょっと反省の方向がちがうのかもしれない、と天秤は勝手に思ったりする。

*4:「僕たちが見てきたアニメはすごいぞ」という主張が、いつのまにやら「すばらしいアニメを生み出すニッポンはスッゲーぞ」という言説に変わったのを嘆くのもこうした理由からである。