法的に正しいことと、世の中的にあるべきこととの間

http://image.itmedia.co.jp/news/articles/0909/29/yog_accs01.jpg
 ねとらぼで報じられているのだが、ACCSの久保田さんが自分のAAの作者を捜しているらしい。おそらくこのAAが気に入ったんだろうけど、名刺に刷ったりしたいから、許諾が欲しいようということなのだ。これは実に心温まる話なのだが、なんだか・・・、あれですよ、なにかこう、一つ、すっと落ちない。
 ACCSの見解は、AAは著作権の対象だから、使うに当たって著作権者の許諾を得たいということだ。この見解は、著作権法の理解として間違っていないと思う。間違っていないものにすっと落ちない理由は何なのか。


 ちょっと自問自答してみた。


 天秤はこう思う。
 著作権法がいま直面している問題は、権利の外延をどこまできれいに描くかということではなく、著作権が実効する範囲を社会的合意=常識の問題としてどの程度に想定するかということなのだと思う。私権は、その権利そのものの外延だけでなく、個別或いは一般的な合意(契約)と、その社会的制約(常識)にも制約を受けると天秤は考えている*1
 すると、AAは社会的常識において、又はある種の契約において、権利発動の対象として捉えられているか?という問いかけがまず先に来るのだ。


 だから、AAに敢えて許諾をくれよというコメントを出すのは、ちょっと空気読んでないような気がする。
 いや、それが法律上は正しい著作権の解釈に基づいているからこそ、見方を変えればある種のイヤミというか、毒づきにも見えてしまう。おまいらの常識なんて勝手な思い込みで無価値なもんだ、著作権を啓蒙する自分の孤高を見やがれ!エッヘン!ということだ。いやいや、さらに被害妄想的に見れば、ついてはこの法律論上正しい見識に基づいて、おまいらの常識に法的手段を執ることもある心得とけよという警告だなんて考えるヤツも出かねない(さすがにそれはないと思うが)。


 天秤は久保田さんを個人的にも知っているので、そんなイヤミな意図は寸分もないとわかっている。だが、「絶対許さんからなお前ら!」とAAに書き込んでしまうような人には、そんな斜に構えた解釈をする人も出てこないとは限らない。そりゃあまりに残念だ。


 一つ天秤は提案したいのだが、AAにもライセンスを明らかにする方法を考えてはどうだろうか?
 例えば2ちゃんに書き込むときに「AAについては二次利用も含めて包括的に将来に対して許諾したものとする」とか確認してもいい*2。あるいは、何から何まで公開にするのはなんだかなーってことなら、「公開登録板」とか作って、そこにお初に書き込まれたものとか、書き込まれて一定期間異議がなかったものとかについては「二次創作も含めて利用を公開したとみなす」というルールを作ってみるのもいい。


 そうすれば、久保田さんも、公開されたライセンス条件に基づいて、権利者をいちいち捜して許諾を受けることなく、法的に安全に、名刺にこのAAを刷れることになる。


 その方がなんぼかスマートだ。天秤は、そういう世の中の方が、いちいち権利を行使する気もない権利者を捜し出して契約書を取り交わす世の中よりも、よいと思う。



.

*1:これに対して、特に「常識」の部分は権利そのものの外延の解釈の中に還元されるという考えもあるだろう。

*2:こうした確認が法的に有効だということは、経済産業省の準則にも書いてある。わが職場ながら、なかなか粋な準則である。