「風の陣」完結〜おつかれさまです!でも失敗作だったけど。

「風の陣」完結〜おつかれさまです!でも失敗作だったけど。

■「風の陣」とは
 「風の陣」といっても大方の方はご存じないと思いますが、高橋克彦氏(以下、敬称略)がここ数年取り組んできた歴史小説で、来年年初のNHK歴史ドラマにもなる「火怨〜北の燿星アテルイ」の前段階の話になります。「火怨」は、延暦年間陸奥国の阿弖流爲の乱の出発点を伊治呰麻呂の乱に置いています。「風の陣」の目的は、ここに至るまでの陸奥と、そして日本史の相関を描くことにあります。
 「風の陣」の主役は、道嶋嶋足。日本史上唯一、蝦夷出身でありながら平城京正四位上にまで出世し、主要国の国司を勤めた人物です。高橋は、彼に、陸奥を朝廷の理不尽な支配から救うために中央に上った蝦夷の義人、としての性格を負わせます。そこで道嶋嶋足は、坂上苅田麻呂吉備真備といった人物と交わりながら、時に伊治呰麻呂も巻き込みながら、藤原仲麻呂の乱道鏡にまつわるいくつもの政変に関与し、彼を通じて古代の政治史劇を描いていくわけです。

■「風の陣」のキャラクター像の建て付け
 「風の陣」の主役は三人います。
 一人は道嶋嶋足。これについては既に説明しましたね。
 もう一人は、狂言回しである物部天鈴。これは高橋の創作になるキャラクターです。高橋は、「火怨」のみならず、時代的には続く「炎立つ」まで、陸奥のリーダー達の影には常に物部氏がいるとしています。「火怨」で阿弖流爲達を父親のように支えた天鈴を、今回は野心溢れる青年として登場させています。物部氏は元来出雲系の豪族で、天皇家の侵攻を受けてこれと合流したものの、敗者として常に排斥され、なんとか中央に復権しても蘇我氏との対立でまた都を追われ、陸奥にたどり着いたという設定になっています。それゆえ、陸奥土着の蝦夷達とは違って中央との関係が深く、彼が道嶋嶋足伊治呰麻呂が中央と関わるときの導線役になっていきます。
 いま一人が伊治呰麻呂(作中では「鮮麻呂」)。「火怨」の冒頭を飾る「伊治公呰麻呂の乱」の首謀者ですが、高橋は彼に、兄貴分である道嶋嶋足を信頼しつつ、陸奥の現地で蝦夷社会の平安と発展に奔走する役割を負わせています。
 この道嶋嶋足と物部天鈴と伊治呰麻呂はいずれも主役=ヒーローであり、チームであり、最後まで反目はしません。しかし、このチームが運命づけられている未来は、全くバラバラの途なのです。
 この物語の終着駅としての「火怨」の時代。道嶋嶋足は、陸奥にはおらず、中央官人として東国や西国で国司をし、一生を終えようとしています。伊治呰麻呂は、我が身を賭して反乱を起こし、そのバトンを阿弖流爲達に渡して物語から退場しています(「風の陣」最終巻でその最後が暗示されますが)。そして、物部天鈴は、引き続き「火怨」にも登場して阿弖流爲達を最後まで支えます。
 ここにかつてのチームの面影はかけらもありません。

■「道嶋氏」と伊治呰麻呂の絶望
 「火怨」の冒頭では、おそらく前史を書こうとは思ってなかったのか、「風の陣」との接合部である伊治呰麻呂の乱の経緯や、それ以前の歴史に関する言及がかなりなされています。「呰麻呂も嶋足もバカだ。生きていれば。。。」とか「道嶋嶋足蝦夷にとっては口にするのも憚られる名となったが⋯」とか。
 これらの言及と、史実とを組み合わせて、一番問題になるのは、嶋足自身を含めた「道嶋氏」の立ち位置です。
 朝廷と蝦夷が対立を極めたこの時代、城の造営で貴族に列せられた道嶋三山、在庁官人として出世し呰麻呂に殺められた道嶋大楯、巣伏の戦い以降朝廷軍に常に名を連ね在庁官人として出世する道嶋御楯など、道嶋氏は常に朝廷側にいる。この立ち位置自体は史実なので変えられません。
 その道嶋氏の事実上の始まりが、他ならない嶋足です。そして、嶋足は、呰麻呂の反乱の時は播磨守を勤めており、陸奥に駆けつけてはいません。そのまま、呰麻呂の乱の三年後にこの世を去るのです。どう考えても陸奥蝦夷のリーダーの一人とは思えません。
 呰麻呂が敢えて道嶋大楯を殺めていることからも、それまで朝廷に与していた呰麻呂が翻意する原因となる深い絶望には、道嶋氏のあり方も与っていたはずです。嶋足と呰麻呂を結びつけている以上、嶋足に対するあきらめなどもあったはずです。
 けれども、道嶋嶋足の描き方は煮え切らない。

道嶋嶋足の人物像について〜「風の陣」の失敗
 道嶋嶋足陸奥蝦夷を見捨てた裏切り者に描かれるべきなのに描かれない。
 それもそのはずで、道嶋嶋足は「風の陣」5巻のうち4巻の主人公なんですから。ずっと蝦夷のために歯を食いしばって朝廷で頑張ってきたんですから。それもそのはずで、嶋足は正四位上という高位なのに、参議になるどころか、いつも官職はたいてい「員外」でまともな中央官人とも扱われることも少なく、高橋はそこに朝廷では蝦夷だと思われ続けていたという理由付けをしているわけですが、とにもかくにも作中ではいつも自分は蝦夷だと思い続けているのですから。
 急に最終巻になって、オイラ朝廷の人間だもんね、蝦夷なんて知らないもんね、とは言わせられない。
 でも、そう言わせないと、呰麻呂の絶望も、その後の道嶋氏のストーリーも、描けないのです。
 つまり、道嶋嶋足という人物を正々堂々、アンチヒーローとして描けなかった。別の言い方をすれば、道嶋嶋足というキャラクターに引っ張られすぎてしまった。
 だったら、せめて最終巻「裂心編」では、一章を割いてでも、嶋足が陸奥から離れていかなくてはならなかったかを描くべきだった。その方法はあったと思う。呰麻呂が平城京に上る行を書くのなら、嶋足が陸奥に関与できない理由を付けさせるべきだった。そして、嶋足が切歯扼腕して血の涙を流しながら、陸奥のことを叫ぶシーンを書くべきだった。そうでなければ、親友が反乱を起こして陸奥守を誅す(この際、不出来な異母弟が殺されたことはどうでもいい)という事態にあっても陸奥に赴かない蝦夷のヒーロー像は壊れてしまう。
 それは、単に道嶋嶋足のイメージを壊すだけでなく、「風の陣」の前4巻をないがしろにすることでもあったのだと思います。僕は、ここをもって「風の陣」は失敗したと思うのです。

■結語
 とはいえ、この時代を小説にしたのはこれが初めてではなかったでしょうか?
 そして、「炎立つ」「火怨」のファンとして、少なくとも「風の陣」という作品を楽しめたのは事実です。
 それだけでも、この古代蝦夷史を描いてくれたパイオニアである高橋克彦という作家には感謝したい気持ちでいっぱいです。
 おつかれさまでした。ありがとうございました。
 でも、この最終巻だけは封印をして、接合点は脳内補完しながら「火怨」上巻に読み繋げていきたいと思います。


.